2020年09月30日

身体と気持ち

崇菱会稽古。


先週からの課題。
一拍子の素振りの復習。

「素振りを『打ち切る』ことが大事。20本振るのなら、20本がひとかたまり
なのではなく、一本一本打ち切っていくことの積み重ねだという考え方で振らないと、
自分の身につかない」



回数も大事だが、「この一本!」の意識が大事なのだ。



基本稽古は、切り返し、打ち込み、
間合いの出し入れからの面の工夫。
「素振り」のときの意識で、一本一本。
これだけでもかなりきつい。


「ハイ、ではいったん休憩する人はしてください。
時間もないので、そのまま稽古に入ってもいいですよ」
と、プレジデント範士。



素振りからの意識が、休憩すると途切れそうだったので、
そのまま稽古に入る。



稽古の後半になるほど、
「これこれ、こういう風にして打ってやろう」
という意識が出てくる。
それで、打突がうまくいかなかった時に、失敗した原因の矛先が相手に向いてしまう。
ということが自覚できた。
そういう時の自分はみじめだなあと。


相手を感じて、そこに集中していれば、うまくいかなかった時も、
それは自分のせいだと反省できる。


途中、ミズ先生に完璧な返し胴を打たれる。
ショックで崩れ落ちそうなくらい(笑)

それと、コガ先生に対して、面すりあげ面が出る。
いい感じで打てたけど、身体の捌きがイマイチだったかな?




打って反省、打たれて感謝です。




稽古後、後片付けをしていると、
「mini98くん、ちょっと!」とプレジデント範士から声がかかる。


「今日は、いくぶん先がかった稽古をしているなあと見ていたんだが・・・
ただ、気になったのは左手の握りが甘いんよね。自分で気付いてるか?
(打ちが)行った時は多分しっかり握っていると思うんだが・・・
ちょっと手を貸して。」


と、mini98の手を握られ・・・(*^^*)ポッ


「・・・こういう感じよ。ここがしっかり締まってないんよ。
だから、構えた時の攻めの気分が打突に乗っていってない。
そこがつながらなければいけんと思うよ」



範士、ありがとうございました。




気持ちと身体はつながっている。
気持ちをつなげようと思ったら、身体の使い方を考える。
身体を正しく使えれば、気持ちもつながりやすくなる。



無意識というものも、
もしかしたら、身体の使い方にヒントがあるのかもしれません。






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2020年09月29日

正義

半沢直樹最終回。
これまでも劇中の「剣道シーン」には注目してきたmini98ですが、
最終回でも剣道、登場しましたね。



(道場で一人、早素振りする半沢、力尽きて竹刀を手離してしまう・・・苦悩が現れています)
(瀬名、森山登場)

「(瀬名)ここだと思いましたよ。渡真利さんから話は聞きました。どうする気ですか?・・・・(半沢沈黙)」
「なんだよ、シケたツラしやがって!せっかくだ、付き合ってやるよ!」


というわけで稽古始まる。
半沢 対 森山

(ケガをしている森山、左手をそっと離すー半沢もそれをみて左手を離し片手に)

「(森山)俺のケガのことは気にせず両手で来て下さい」
「(半沢)片手でしか握れない相手に勝負してもなんの意味もない」

「(森山)あなたはどうしていつも正々堂々としていられるんだ。
俺は、あなたに出会って初めて『こんな男になりたい』と思った!」

「(瀬名)俺もですよ。俺たちが目標とする男は、どんな奴が相手でも沈まないで頂きたい!」
堂々と闘ってください!」

「(森山)あなたが言ったんですよ!俺に闘えって!あれは嘘だったんですかっ!」
(・・・っといきなり突き!半沢倒れる)
「(森山)もう終わりですか!やられたらやり返すのが半沢直樹だろ!」

(ウォーッと半沢反撃、数合あって、最後は片手引き面で勝負あり・・・
(面打ち抜いて欲しかったな・・・mini98心の声))


「(瀬名)よっしゃ!かかり稽古だ!慶應の剣道出身ならお手の物でしょ!」

(うーんこれはかかり稽古ではなく、面の打ちこみ稽古だね・・・と突っ込んでました(笑))




「(瀬名)・・・なあマサ、俺たちなんでこんなことしてたんだっけ?」
「(森山)さあ、忘れちまったよ」


「(三人)ハハハハハ・・・・・」

「(瀬名)次長もなに笑ってるんすか」

「(半沢)昔を思い出してな。若い頃は疲れ知らずで、朝から晩までがむしゃらに突っ走ってた。
早く一人前のバンカーになって、大きな金を動かして、たくさんの人の助けになる。
やりがいのある仕事をする。そんな未来を見ていた。そうだ・・・未来を」

「(森山)あの時の目力が戻りましたね」
「(瀬名)ウチを守ってくれた時の半沢さんだ!」

「(半沢)もうゴチャゴチャ考えるのはやめた!相手が誰だろうと向かっていくのみだ!
ありがとう瀬名さん・・・森山・・・」


ここが転換点となって、半沢の1000倍返しが始まっていくわけで。
「剣道」いい仕事してたと思います(笑)





「其れ剣は心なり。心正しからざれば、剣又正しからず。すべからく剣を学ばんと欲する者は、まず心より学べ」
(島田虎之助)

師浅原先生が、ことある毎に引き合いに出され、稽古の初め、終わりの講話で話されていた教えです。
私は、このシーンを見ていた時、フッとこの言葉を思い出しました。



剣道が良くなればこの国が良くなる。
剣道で世界平和。







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2020年09月28日

相討ち

「剣道は(剣道という名称で呼ばれるその形態は)剣の(剣道および剣道への道)
理法(理は形にあらわれてないもの、法は形にあらわれたもの、すなわち心法と刀法
のこと、相対的な現象としての諸法と絶対的な道への道としての学習を、修行稽古
という行により常に相対を離れない実践の繰り返し)による人間形成の(個と共同体
における課題を技術追求とその態度から無限の人間生成していく)道である(私を
発見し普遍の法則に気が付く人間生成への運動そのものと心(精神)の働きである。)」


「・・・剣道は、相対であり術即ち刀法を離れては成り立たない。
いかに剣法の隠れた働きの原動力としての心法を得ても、それは
相討ちという機を全機とするものである。剣法は相討ちまでである。
相討ちが剣道修行の第一とされている。
相討ちで迷わず、驚かず、おそれず、身を捨てることの修練の蓄積によって、
自分が生きる機を得るか、相手を絶対に生かさない、共々生きないで守る
という絶対的な機関としての修行であり、極致の会得であった。」
(『艸生庵残筆』湯野正憲範士)


・・・まだまだ続くのであるが。




先人の教えを書物で学ぶことは大事なことである。
そこに大きなヒントをいただくこともあるが、
「剣道は刀法を離れては成り立たない」のである。

「その場」に立ち、自分に向かってくる相手に対して、
自分がどうかということからでしか学べない部分が大きい。

その両方の取り組みが必要なのだと思う。



「一切は自己問題であり一切が自己の問題である。真の自己、
私を発見するという課題と見ることができる」
(前掲書)



そしてさらに、
稽古での「相討ち」の心法で、日常を過ごす。
ここまでやり切らないと、人間形成の道であるとは言えないんでしょうね。




「こうしてやろう」とか思わずに、最善と思われる判断で行動に移す。
その積み重ねが「無意識の打ち」につながっていくのだと信じたい。








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2020年09月27日

捨て身の気魄

捨て身の気魄。


「武専の稽古は、先生が待ち突きで対すのがわかっておっても、遠間から打っていく荒稽古で
喉の突きあざは「勲章もの」とみなされていたくらいでした。それはもう恐くてならなんだ。
ところがそういう稽古ばかりやっておるうちに不思議なことを体験するようになった。(中略)
何をされても恐くなくなった。当時は不思議だなあと思ったくらいなのですが、後でそれが、
あのとき自分は捨て身の気魄を叩き込まれていたためだったんだなって思うたんです」
(石原忠美 岡村忠典の剣道歓談)




まず、プレジデント範士に稽古をお願いすると、
範士の身体全体が自分に迫ってくる感じがして、どんな「色」をこちらが見せても、
全くどこにも力が入っていない。かといって、打っていけるかというと、
打っていける気もしない。

「どうしよう」
「こっちからこう攻めたら・・・」
「こっちか?」

などと考えがふつふつ湧いてくる(この時点でもう「気魄」なんて意識にないわけです)
何年かに一度、範士に対して思い切った技を出せる時がある。

IMG_0042.jpg
(非常に貴重な写真。スマホの待ち受け画面にしようかと思ったくらいです(笑))


こういうときには、まずブログで自分の心理状態を振り返ることはできません。
全く覚えていない。ただ、はっきりと言えるのは「どこを打ったらいいか」などと、
考えてはいなかったということです。


技を再現するというよりは、
気持ちを再現できないかともがいているわけです。


「どうや!と自分の剣道を表現してそれを思い切り相手にぶつけてみる。
剣道は、プライドとプライドのぶつかり合い、人間同士のせめぎ合い」
プレジデント範士はよく言われます。


色々考えてみましたが、
やはり、範士の言葉がいちばん的を射ているような気がしています。




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2020年09月26日

間合と間

本日は朝から実家の庭と畑のお掃除。
「手入れ」と書きたいところですが、はっきり言って草ボーボー状態。
だから「お掃除」が正しい。


仕事が休みの息子を叩き起こして実家に連れて行き、作業につき合わせる。


数時間、会話もなく作業に打ち込む。
なんとか「ジャングル」から「草原」状態までにはして作業を終了。
今日はこれくらいにしておいてやろう。


免許は学生時代に取得したが、実際の運転は経験不足の息子。
今後のことを考えるとできるだけ練習しておいたほうが良い。
ということで、帰りの運転は息子に任せてみる。
かなり度胸がいる時間を小一時間過ごす。


自宅に到着。
その後は静かに過ごす。



さて。
先日の崇菱会稽古でのプレジデント範士による基本稽古。
範士はよく「上段に構えさせてからの面打ち」を稽古に取り入れられるのですが、
「間をつかむため」と理解しています。
今回の稽古では、そのまま打てば近い間合いから面を竹刀の物打ちで確実に打つ稽古でした。
間合いプラス腰がはいって左手が正しい位置での面打ち(素振りの形)
ができるようにというご指導でした。


間合いについて。

「構え」で間をつくる。
「竹刀操作」で間をつくる。
「上段打ちこみ」で間をつくる。
「3つの打ちこみ」で間をつくる。
「3つの意識」で間合と間を一致させる。
(『時代』特集 必勝間合で打つ技術  藤原崇郎範士)


相手との距離=間合
相手との空間=間


この特集もこれまで何度も読み返してきたものですが、
また違った「気づき」があります。

「面でも、小手でも、胴でも、突きでも空いていますよ。
さあ、どうぞという気持ちで中断に構えるのです。
自分を相手に全部さらけ出すようなイメージです。
 このような意識を持てば、相手に間を遠く感じさせることができます。
反対に「いくぞ」「打つぞ」という気持ちが高まり過ぎると、
相手に打ち気を察知されてしまうため、相手は間を近く感じてしまいます。
 自分をさらけ出すためには、へそを相手に正対させることが肝要です。」


「相手に攻められたときには反発しないようにしています。
相手が剣先を押さえてきても、過度に力を入れて対応しないのです。
攻められても力を抜いた状態を維持すれば、相手が打とうとした
ときには自然と竹刀は中心に戻ります。
有利な間をつくれるため、応じて打つこともでき、
余裕を持ってさばくこともできます。」


「相手が間合いをつくろうと攻め入ってきても、
「どのように対応しよう」と考えないようにしています。
必要以上に動かず、相手を動かす意識を持つのです。
自然のなりゆきに任せた稽古を実践すると言っても良いでしょう。
こうすると(中略)間合と間を一致させられるようになります。」



人の眼は、耳は、
全てのものが見え、聞こえているわけではない。
その時々の自分の意識に触れたものしか自分の中に入ってこない。
目標を持って、アンテナを常に高く。






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2020年09月25日

心気別につかう

「攻めの時、心気、別々に使う。難しいところですから、
攻めのところ、打つところ、打ったあと、この3つに分けて説明します。
 攻めの時には気をつかうんです。心から命令をした気を前に出す。
剣先から前に出す。心は身体の中に置いておくんです。
 打つ時には心も気も、技も使う。打ったらすぐ、心は身体」へ戻す。
気は前に出しておく。
こう使うんです。なぜか、なぜそんなことをするか。二つある。
 そのひとつは、心が前に出とったら、心の鏡に相手の隙が映らない。
わかりましょう。それがひとつ。心が前に出とったら、
一瞬の隙を打つのに遅れるんです。」
(『石原忠美範士講演録 活人剣・殺人剣と人間形成』)



これまで、「大事なことをおっしゃっているな」とは感じていても、
「実感」はなかなかできなかった言葉。
「無意識」「相手を感じる」ということを課題にして稽古しているわけですが、

「心気を別々につかう」

ということについて、感じることがあります。
それこそ「いくぞ!」と心も気も前に出していては、相手を感じることは難しい。
できたとしても、一瞬遅れる。
「気」を前に出して攻めながらも、相手を感じる「心」は身体の中に置いておく。
だから反応できる。

打ちを出す時は、一気に心も気もつかって打ち切る。

左足の引きつけとともに、気は前に出しながら、心はまた身体に戻す。(まさに残心)



「気」を前に出しながら(腹・へそで攻めること)
腕は肩からぶら下げておく。
身体の中にある「心」のセンサーとなる竹刀につながる回路だから。


剣道形の時に比べると、幾分「固さ」はやわらいだ気がしますが、
まだまだセンサーの感度は低いですね。
センサーで捉えても、それを「技」につなげる技術も不足。
攻めが相手に伝わる「気」が出ない。


しかし、石原範士の言葉に再び触れて、
次第に整理ができてきたような気がします。


「第54回東西対抗 大将戦」(通常盤)
「第54回東西対抗 大将戦」(スローバージョン)

この試合はナマで拝見しましたが、当時はそんなことなど思いつきませんでした。
今拝見すると両範士とも「心気別々につか」っておられますね。
打つときは、心も気も技も一気に。打ったらすぐさま心は身体に戻す。
この動きがよくわかると思います。








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2020年09月24日

なるほど・・・

先日の崇菱会稽古でのmini98の稽古動画を「へたくそ剣道理論」に掲載していただいたいております。


VS鋼之侍さんとの稽古

打たれまくっていますが・・・一本だけ「無意識」に出た面がありました。
以前、プレジデント範士から、「相手が小手ー面と渡ってくる時のその間を面に打ち抜けることができるはずだ」
と言われたことがありましたが、ややそれに近いタイミングで、もう一回やれと言われてもできない。
まさに咄嗟に出た打ち。


VS清水寺さんとの稽古

鋼さんの時もそうでしたが、面を何本も「打ち損じて」います。
打ち損じていること自体はこれが今の私の実力なので、いいと思っていますが(良くないか)
決めるという意識に欠けている。
それから、打ち損じた形が悪い。


失礼ながら、プレジデント範士の「面の打ち損じ」動画を探しまくって(笑)
スロー再生してどこが違うのか観察してみました。


例えば「これ」とか。
(1:18あたりですか・・・)範士と同じようにはいかないことはわかっているんですが、
ひとつ身体の遣いかたについてヒントをいただきました。






結果はどうあれ、自分を信じて最後まで打ちぬく。
無意識に、正しく。









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2020年09月23日

健全な劣等感

崇菱会稽古。


準備運動からの素振り。
なにげなーく、それこそ準備運動のつもりで素振りしていては意味がない。
素振りは「稽古」なのだ。


まずはプレジデント範士から全体へ
「全員素振りがまずい。一拍子の打ちを心がけて、もう10本!」
と喝が入る。



面をつけて、基本稽古。
素振りの動きを維持しながら、実践的な振りにつなげていく。
指導者の意図を理解して、示範を忠実に再現してみる。

自分の稽古動画を見て思うのは、
やっぱり面を打ちたい気持ちが姿勢を崩しているということ。
左手の納まりが悪い。竹刀を頭頂部に当てようとして左手が中心から外れている。

稽古でもこうやって打てればいいのだね・・・。



ということで、地稽古に入る。
そんなつもりはなかったのけれども、構えてみると、
自分自身に「あれ、なんか『さあこい!』の気力が足りないな」と感じる。

「無意識!」「正しく!」と考えるのはいいが、
その気持ちが「受け」「待ち」になってはいないか?


それと、やっぱり「下がって」しまっている。(間を切っているのではないなあと)
間を切って、のときもあるのですが、その次の展開でさらに相手が出てこようとするところは、
それこそ「無意識の打ち」が出るべきところ。そこを下がってしまっているのだから、
打たれてもしょうがない。と、打たれながら実感(笑)


「感じた」ところで出て、胴に返されるのはいいとして、
同じ打たれるのでも下がって打たれたのはやっぱりよくない。


あと、打った後の「抜け」も良くなかったですね。
打ち切っていない。当てただけになっている。



打たれても、ここはガマンして継続。
筋肉痛はすっかり改善。




頑張ります。







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2020年09月22日

正剣と邪剣

(ワコール創業者 塚本幸一さんの話)
「ある時塚本さんが補佐役として信頼をおいていた副社長に、そのこと(事業が全部うまくいくこと)を述べたところ、
確かに社長のおっしゃるとおりだ、ただ、あなたが「邪剣」を抜いた時は例外ですよ、といわれたのだそうです。
社長は二つの剣を持っている。正義の剣と邪悪の剣の二つ。このうち「正剣」を抜いたときは、たしかにことごとく
成功しているが、「邪剣」を抜いた時には、これまたことごとくうまくいっていない。
 それはつまり、社長に神がついている証拠で、正剣を抜いた時には神が加勢してくれるが、邪剣を抜いた時には
神はそっぽを向いているからだというのです。
 そう副社長から言われたが、流石によく見とるわ、と塚本さんがしみじみ感心しておられたことがありましたが、
私もそう思います。」
(『生き方』稲盛和夫)





無意識に技が出る状態=正剣



「無意識」であるために、
何を「意識」しなければならないか。



正しいことを貫くには、
調和しながらも対立していかなければならない。




連休も終わり。







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2020年09月21日

痛みをかみしめ・・・




学徒出陣(がくとしゅつじん、旧字体:學徒出陣)とは、第二次世界大戦終盤の1943年(昭和18年)に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳(1944年10月以降は19歳)以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。日本国内の学生だけでなく、当時日本国籍であった台湾人や朝鮮人、満州国や日本軍占領地、日系二世の学生も対象とされた。学徒動員と表記されることもある。
(Wikipediaより)


4:29あたりから、東条英機の演説にかぶせて、学生の泥はねだらけの後ろ姿から、泥だらけの足元までを映し出すシーンがあります。
これは、当時のニュース映像を制作した人たちの「せめてもの」の抵抗なのだそうです。




「・・・ちょうどその頃読んでいた相対性理論の入門書に出ていた『光は波でもあるが同時に粒子でもある』
というアインシュタインの光量子説発見のいきさつを解説した部分が、この『百丈野狐』の話に重なったのです。
 自然界は矛盾していると見えるその二重星こそ、その奥深さなのだと気がつき、「人間の運命は完璧に決まっているが、
同時に完璧に自由でもあるのだ」という結論を得て、本当にノイローゼになる一歩手前の状態から解放されたのです」
(『古武術に学ぶ新体操法』甲野善紀)




ここは、思いっきり「文系」脳で考える。
いや、考えてみたい。


無意識の打ち=完璧に自由である
しかし、それは同時に、
無意識の打ち=理にかなっている(完璧に決まっている)

その「矛盾」を曖昧にせずに、ただ追い求める。
そこに終わりはない。





呉から自宅まで歩いて、一日過ごせる休日なんて、
「平和」そのものでしかない。





・・・平和って、筋肉痛なのね(笑)








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2020年09月20日

オッサン珍道中報告!

前回の崇菱会稽古で、マニアック先生から、

「mini98さん、呉から歩かん?」


く、呉からですか?遠いですね・・・いいですよ(笑)


・・・と安請け合いしてしまい、その準備のためにトレーニングを積む時間などもちろんなく。
午前7時前のJRに乗り込み、乗り換え時にマニアックM先生と合流し呉駅へ。

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すずさんの暮らした街かあ・・・

駅に着くと、プレジデント範士の同級生「五島の兄貴」先生が待っていてくださり、差し入れまで。
ありがとうございます。
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ということで、呉駅で五島の兄貴とはお別れし、出発!

まずトイレに行って・・・そこでマニアックM先生と雑談中、
「まーね、軽く走っていくとね、だんだんね・・・」と耳を疑う言葉が。


は、走るんですか?歩くっていう話は、どこにいったんですか?
・・・多分電車の中に忘れられたみたいです(笑)


ということでジョギングにて海沿いの道をひた走る!(側から見ると限りなく歩きに見えたとは思いますが)

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向こうに見えるのが「目標地点」です。

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うまいラーメンなら・・・よかったんだけど・・・定休日でした。


途中、マニアック先生と様々なお話をしている間に、
あっという間に・・・と言いたいですが約3時間たって、ここまで。
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それからまたしばらく歩くと・・・
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一応、守衛の隊員さんに声をかける「あのーここで写真撮っていいですか?」

ハッとこちらを振り向いた隊員さん、こーんな怪しい奴がいきなり声をかけてきたものだから、
一瞬ですが、肩にかけたライフル銃を構えかけた気がしました(笑)


・・・危なかった。もし「私怪しいものでは・・・」と懐に手など入れていたら、
確実に射殺されては・・・いないか(笑)
隊員さん、突然話しかけてごめんなさい。

またしばらく歩いて、
今年はトーンと訪ねていない、この場所の前を通過。
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ここまでくれば、
通称「カープロード」を歩いて、ひとまずの目的地広島駅に到着。
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ここでマニアックM先生とはお別れ・・・
途中から、鼠蹊部が痛み始めていたのですが到着時は「まだまだいける!」
・・・と思っていました。
ここからが本当の「修行」Death!(大和田風)

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ここからは、毎日通勤している道なので走り慣れているはずですが、
「こんなに遠かったっけ?」

足が前に出ない。前に進む意思はあるのですが・・・
マニアック先生に言われた「骨盤前傾」を心がけ、
足は腹から出ていると意識して、体重移動だけを意識して歩くといくぶん楽。


なんだか、日も傾いてきたし・・・


自宅前で時間・消費カロリー・心拍数・一キロの平均ペース・総距離を確認。
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我が父は広島が被爆した当時中一で、父親(mini98にとっては祖父)と安芸高田から、
親戚のある呉まで安否確認に歩いて行ったそうです。早朝に出て夕方ついたそうです。
無事だったので、その日は親戚の家に宿泊し、また歩いて広島市内の惨状を目撃して、
安芸高田まで帰ったんだよと聞かせてくれたことがあります。

今回、マニアック先生のお誘いのおかげで、
父の追体験の真似事ができたのではないかと思います。
祖父と一緒だったとはいえ、
当時中一の父は、不安だったろうなあ、苦しかっただろう。


棒のようになった足を感じながら、
最後はそんなことを考えながら歩いていました。



それから、疲れ果てて「もう一歩も歩けない」と頭で考えてからが、
身体の使い方の工夫が始まる、ということもなんとなく実感できました。
(もうあんまりやりたくないケド(笑))



そんなこんなで、
連休中、貴重な体験ができました!
マニアックM先生、ありがとうございました!
五島の兄貴、バナナ美味しかったです。おはぎも大変疲れた身体に効果的で美味でした!
ありがとうございました!






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2020年09月19日

まるで自分のこと

地区剣道新人大会。
春の大会が中止になったので、
今年度初の地区大会です。


感染防止対策と熱中症対策。
空調の効く会場を確保し、無観客で保護者等の観戦は無し。
選手の入場・退場の導線を分け、待機席の間隔を開け、
換気、除菌の徹底、補助役員はマスク+フェイスシールド着用。


加えて、


午前中女子個人・団体
午後、男子個人・団体


に分けて、できるだけ密になることを避け、
試合時間も短くして、個人戦は延長を一回のあと判定を行なって、
短時間で試合が終わるようにしました。


地区大会は、県大会の予選とはならないので、
10月の県大会に備えて、生徒たちの体慣らしと試合勘を取り戻すため、
という位置づけで行いました。



準備は大変でしたが、事務局のT先生をはじめ地区委員の先生方の
献身的なご協力のおかげでなんとか開催することができ、
県剣道連盟派遣の審判の先生方も感染リスクのある中で快く審判を引き受けていただいたこともあって、
無事終了することができました。




ありがとうございます。




今年度初めて試合をする生徒もいたようで、
(新人戦あるあるですが)大変遅くはなったのですが、
県大会に向けてのステップとして、生徒たちに活躍の場を提供できたのではないかと思います。




「無意識の打ち」が出ても、
二本目は意識してしまって、なかなか思うような打突にならない。

うんうん、わかるよわかるよ。
でも、そこを打たれて自得するしかないんよね・・・




・・・などと正面席から「自分のことのように」試合を拝見しました(笑)




県内各地区で行われた地区大会での反省点を持ち寄り、
より良い県大会になれば・・・生徒たちも今回の経験を活かしてもらいたいものです。







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2020年09月18日

それ、言われてました。

「打ち遅れる原因は何か。常にアンテナを立てておいて、
相手の変化を感じ取ることが大切。相手の動きを見てからでは遅い。
無意識で打てるようにすることが必要。
そのためには、そこを意識して、打たれて覚えるしかない。」
(年始稽古にて、 プレジデント範士の言葉)



・・・あれ?



すでに範士から言われていますね(笑)
「mini98君、理屈じゃないんよ!」と言われていた意味が、実感できたというか、
せっかく稽古後のアドバイスをいただいても、当時はそれが「ピン」ときていなかったんでしょうね。


「無意識」になるため「意識して」取り組んでいくしかない。

力まず、集中し、竹刀を触角の如く遣い、相手を感じ取る。
自分を信じて、反応してみる。
打ちを出したら、決まるまでやり切ってみる。



奢らず、
卑屈にならず、
今、ここ。
精一杯。



竹刀の手入れをしました。
バラして、ささくれそーな部分にサンドペーパーを軽くかけ、
椿油を念入りに塗り込む。
組み直して、中結いを締める。



構えてみる。



結局、空っぽになってしまった。
我思う。





故に我あり。









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2020年09月17日

奇数で攻める

スガさんが選ばれましたね。


スガさん・・・と平坦なイントネーションで読むのが標準語らしいが、


ワシら広島の人間からしたらねー
「ス」ガさんって言わんとなんか気色わりーんよね。


「広島のしりとり」


・・・おっと失礼しました。



標題の言葉は、鹿児島の會田範士の言葉です。

會田範士 京都大会立会

「学生には「試合の進め方は奇数番号でやりなさい」と教えます」
「・・・立ち上がって「さあこい!」と気で攻めて構えたところに
相手が来てくれたので、それを擦り上げて面を打つなり、出小手を
打つなりした場合、「さあこい」が1になり、決めた技が3になるわけです」
(『日本』追悼特集 相手の攻めに対応する技を持て)


相手がこうくるから、自分はこうする


では遅れてしまう。
まず、自分はどうするのかを決めることから始める。
「自分はどうする」の部分は、修行の段階によって色々あるとは思いますが、
「形に現れるもの」から「形には現れないもの」へと進化していくべきなのかなと。
考えてみれば、剣道形の組み立てもそうなっています。



YouTubeで、小川忠太郎範士や、堀口清範士が稽古されている動画を拝見すると、
打つとか打たれるとか、そういう勝負を超越した「構え」がまずあります。
構えた時点で、「自分はこうだ」というものが決まっていて最後までブレない。
しかも、絶対に「固まって」いない。動きは大変スムーズです。




あげ太くんほどの強引さは必要ないと思いますが(笑)
打たれるにしても、「これが自分や!」というものを持って前に出て打たれる。
だから、相手に自分を磨いてもらえる。



奇数で考えてみます!








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2020年09月16日

無意識実践?

崇菱会稽古。

準備運動のあと、
素振り。
自分の最近の動画を見て感じるのは、
硬さ、左手の納まりの悪さです。
ですから、素振りはその課題の確認作業であります。


面をつけての基本稽古。
上段からの面打ちなのですが、
打突の強さ、間合いを掴むための稽古であること。
打突の際の呼吸についてとともに、範士から何度も注意を受ける。



「素振りの「振り」と同じように打つように!」



意識して打つ。



休憩後、地稽古に入る。
「機を見て」ということを心がけ、
相手の動きに反応するのでは遅い。
相手の「匂い」に対して、できるだけ「ここを打つ」と決めずに対峙してみる。
ただ、常に相手に「乗る」気持ちは忘れない。


初太刀、本当に思わず「面擦り上げ面」が出る。
あーなるほどー。こういう機会をたくさん作っていけばいいかな。

その後も、
若干面に気持ちを置きつつも、基本「打つところを決めない」姿勢を貫く。
相手の面に遅れても、自分もとっさに出た打ちをとにかく残心まで行ってみる。

ただ、やっぱり「打ちたい」という気持ちはムクムク雲のようにわいてくる。
相手に向けた剣は自分にも向けられた剣であるのです。



しかし、そこに自分の意識があると、
相手に打たれても素直に「アッ、そうかーまだ早かったかー」とか、
「今の、遅れたなー」とか思える。いくぶん「潔く」なった気がする(笑)


さあ、一本お願いします!



今日お願いした先生方には、
全部最後一本のところで打たれてしまった(笑)




でも、なんだか清々しい気持ちでした。





Sky先生から、
「mini98さんの動画にコメントが入ってたよ」と教えていただく。
自宅に帰り、早速チェック。


shinpachiさん、コメントありがとうございました!
老婆心などとんでもない!丹田への意識、mini98に一番足りないところです。




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2020年09月15日

無意識の打ち

打突には、打つべき機会というものがあります。
それが的確に捉えられていないと有効打突にはならないのですが、
これは距離だけで決まるのではなりません。
届きそうだと判断したらすぐ打ちを出すという人が少なくありませんが、
それでは相手にまったく怖くないのです。
ですから簡単に防がれてしまいます。
機会は、相手とのやり取りの中で生まれるものです。
そこをつかむには、集中力が大切です。
「集中する」とは、面を打つぞ、小手に切るぞと技の組み立てに夢中になることではありません。
相手とのやり取りに気持ちを研ぎ澄ませること、
そして自分を信じて打突につなげることだと私は思います。
つまり集中力をもって、無意識に技を出す。
そうした技が有効打突になるのです。
(『剣道昇段への道』剣道日本  藤原崇郎範士)



打太刀は仕太刀の「機を見て」打ち込む。
仕太刀もまた、打太刀に「機」を見つけて打ち返す。
「打太刀は師の位」と言われるが、実際二人で向かい合ってみれば、
打太刀も仕太刀から学ぶものはあるのです。


お互いに「機」の掴み合いをしている。
そこに集中する。
相手を「感じて」機を捉えることに集中する。



「集中力をもって、無意識に技を出す」



剣道形も目指すところはそこではないか。
形は決まっているが、中身は自由である。



稽古に活かすとしたら、この部分ではないだろうか。






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2020年09月14日

大原則を忘れない

半沢直樹が「大切なこと」として後輩に伝えたこと。



1、正しいことを正しいと言えること。
2、組織の常識と世間の常識が一致していること。
3、ひたむきに誠実に働いた者がきちんと評価されること。

「仕事は客のためにする。世の中のためにやる。
その大原則を忘れた時、人は自分のためだけに仕事をする」
(半沢直樹)



「バンカーとしての誇り」という言葉が何度となく台詞の中に出てくるのですが、
その「誇り」とは、この「大切なこと」を貫こうとすることから生まれることなのか、
そう思わせる台詞でした。



「日曜劇場」を見た直後は、頭の中に例のテーマソングが流れ、
やる気満々で仕事に向かうのですが(笑)
いざ仕事が始まると、上司や同僚、保護者との関係は、
半沢みたいに、土下座騒動や、人に頼み事をするときの大事な七文字を
言わされるようなことはないにしても、なかなかに厳しい。




しかし、ここも「敵を作らない」ことが大事。
剣道形における打太刀と仕太刀は闘っていながらも敵対していない。
カッと来たら負け、ふてくされたら負け。
(いつも打たれるときは、そういう時じゃないか・・・と言い聞かせ)

深い呼吸を心がけながら、まずは相手を受け入れる。
そこからの瞬間善処。


やられてもやり返さない。
向かってくる力を逆に利用すれば良いのだ。
相手に「乗る」ポイントは、相手が教えてくれる。



正しいことを貫くことは難しいけれど、
それを貫こうとすることは大事なことだ。



mini98は、こういうときにいつも思い出し、
励まされる文章があります。



「教師となり丸十年目の春。強く正しいことを貫こうとすれば阻害され、
『Yes man』では己を失う教育現場。『和して同ぜず』の大切さを痛感する」

「現代社会そのものが寒稽古のような昨今。一五日間では終わらない。苦しい時もある。
でもやっぱりうれしいし、充ちている。体大で学んだ厳しいけれどもあたたかい道の求め方を
子供たちとともに修行していきたいと思っている」
(『快剣撥雲』)





自分のために仕事をしない。
自分のために剣道をしない。


「大原則」を忘れないようにしないと。







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2020年09月13日

機の思想




あらためて「機」について。


「楽器の演奏を考えていただくとわかりやすいかも知れません。楽器奏者で交響楽を演奏しているとします。
そのとき、他の楽器の音を聴いてからそれに応じていれば、必ず遅れる。聴覚情報の入力があってから
反応したのでは、どれほどすばやく運動を出力してもハーモニーは生成しません。
 では、実際に演奏者たちはどうやっているのかと言いますと、『同時に演奏している』のです。
自身の身体的な限界を超えて、『自分からはみ出して』他の楽器演奏者と融合して、一体化している。
オーケストラ全員で構成される多細胞生物があり、それが演奏している。奏者ひとりひとりは
その多細胞生物の個々の細胞である。細胞と細胞の間では確かに「やりとり」がなされているのだけれど、
もともとそれらはひとつの生物の部分であり、母体は共有されている。そして、メンバー全員を含み込んだ
共有体が演奏の主体である。そういうふうに考える」
(『日本辺境論』内田樹)






先日の崇菱会で、剣道形発表会(?)がおこなわれ、一応剣道形稽古の総まとめとされたのです。
その時の、雪国美男子先生との剣道形は、まさにこんな感じでしたね。
一本目のお互いの間合いが近すぎてしまったり、三本目、mini98の下りが甘かったり、
四本目のしのぎを削るところからの動きがいまいちだったり、六本目のすりあげがイマイチだったり・・・
(今考えると随分多いな(笑))

しかし、多分美男子先生も同じような気持ちで打っておられたのではないかと。
それが「感じ」られる気がしたのです。

ひとつの「形」をふたりが演じているのですが、
打太刀は仕太刀であり、仕太刀は打太刀でもある。
だからこそ、お互いのまずいところが相手に「写り」
「隙」に気づく。


「敵をつくらない」とはこういうことかと。



「間髪を容れず」に反応できるというのは、実は『反応していない』からです。
自分の前にいる人と一つに融け合い、一つの共有体を形成している」
(『前掲書』)




これまでもブログに書いてきたことですが、
「感覚」としてとらえつつあるのかなと。








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2020年09月12日

機と間と理と

日本剣道形考察。

七本目。
打太刀の面は、左ー右と踏み出し、「体ヲ捨テ」仕太刀の面に打ち込む。

なぜ、そうするのか。



@ 仕太刀の「誘い」に打たされたから。
A 間合いが遠く、このままではとどかないと判断したから。



七本目は「仕太刀後ノ先ニテ勝ツ」と解説してありますから、
これはAでしょうね。
つまり、面を打ってくる前の、胸部を突き、それを「諸手ヲ伸ハシテ剣尖ニテ其ノ剣ヲ支へ」るところ。
そこから、鎬を削って「互ニ晴眼トナリ」の時の仕太刀との間合いは、一足一刀よりも遠くなっていなければ、
この足遣いで打太刀が打つことはないと思います。

だから、この間合いが切れるギリギリのところで、
「のっぴきならない」状況を打破すべく「捨身」で打ってくるのです。


仕太刀が胴を打った後の刀の方向は、相手の右胴を斜めに切るから折敷になる。


その後、

IMG_0135 2.jpg

丸田範士が、
「原本では仕太刀が立ち上がるから、打太刀が後ろに退くようになっているが、
実際は打太刀が後ろへ退くから、仕太刀が充分な勢いで立ち上がることとなる。
原本の誤植であろうと思われる」
と書かれています。

確かに、一〜六本目までの打太刀仕太刀の関係を見ても、
仕太刀の方から「退がれ!終わったぞ!」と打太刀に促すことはありえない(笑)


講習会などで、講師の先生方がよく、
「打太刀が仕太刀を引っ張り上げるように・・・」と表現されることがありますが、
このことを言っておられるのでしょうね。

理合から考えても丸田範士の説をmini98も支持したいと思います。






「機」と「間」と「理」と。
剣道形に学ぶことは本当に多いです。







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posted by mini98 at 23:36| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月11日

打太刀の面

剣道形考察。

「日本剣道形解説書」


もう一度見返してみました。
「日本剣道形解説書」は大正時代に制定された「大日本帝国剣道形」に増補、加註されたものが原本になって、
昭和56年に現代的なやさしい文体に書き改められたものです。


・・・というわけで、「原本」に一番近い解説書であります。


見直すきっかけは、
先日のプレジデント範士の言葉と、

IMG_0135 2.jpg


丸田範士の残された、「剣道形の組立表」です。


気づくのは、日本剣道形太刀七本+小太刀三本で、
打太刀の面は六本とも違う注釈がついています。
(他にも気になる点はありますが、また今度)


一本目  へそ迄
五本目  顎まで
七本目  捨身

小太刀一本目 切り下す
小太刀二本目 切り込む
小太刀三本目 打ち下ろす



だから、当然それに対応する仕太刀の動きも違うわけで。
なぜ仕太刀の動きがそうなるのかは、打太刀の動きが全部違うからなんですね。
あくまで打太刀の動きに瞬間善処した仕太刀の動きとなっているわけです。


そうすると、太刀の形の仕太刀の技についても、
それぞれ「抜く」「すりあげる」「すれ違いの勢いで抜く」必然性があり、

小太刀の形の仕太刀の「残心」がなぜそれぞれそうなるのかも、
ちゃんと意味があるのです。


特に小太刀は、自分にとって不利な状況から勝負が始まるわけですから、
相手に充分な状態で打たせない攻め方、間の取り方が必要です。


さて、これをいかに稽古に活かしていくか、です。



最初に「打太刀の面が違う」と書きましたが、
よくよく考えてみると、仕太刀の「誘い」「間の取り方」によって、
打太刀もまた、そういう風にしか「面が打てなかった」と言うべきなのかもしれません。


崇菱会稽古にて、自分の稽古している姿を見ると、
堅い、硬い、固い。
しかも「打ってやろう」という気持ちばかりで、
相手のことなど考えていない。


逆に、プレジデント範士側から見たら、
仕太刀の如くmini98の打とうという気持ちを利用して「引き出して」おられるんでしょうね。



Don't think ! Feel !



さらに考察を進めます!






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