「日本剣道形ってそういう意味だったのか」
(『日本』2005年1・2月号 佐々木博嗣氏)
剣道形の一本目から三本目までを「技」としてみると、
一本目「お互い上段からの面抜き面」
二本目「お互い中段からの小手抜き小手」
三本目「お互い下段からの突き返し2段突き」
・・・というおよそ竹刀剣道では考えられない「技」となっている。
だからこれは「技」を教えようとしているのではなく、
「理」を教えようとしているというのが佐々木氏の意見です。
佐々木さんの理論はこうです。
一本目は、剣道では最も基本とすべき「間合いの測り方とその大切さ」を教えようとしている。
そのため、師である打太刀は、あえて相手と剣先を合わせることのない上段に構えて、
間合いを測りにくい状況を作る。
しかも、打太刀は自分の剣が届く最大限の間合いで打ってくる。(だから「仕太刀の柄もろともに打ち下ろす気構え」
が大切となり、打突後やや前屈みとなることも意味がある。)
それを仕太刀がギリギリの間合いで抜くところにこそ、一本目の見せ所でもあり、その意味でもある。
そして、「敵より遠く、我より近い」間合いの妙味を会得していく。
二本目。
師である打太刀は「正中線」の大切さを伝えようとする。
打太刀は、仕太刀の刀の幅ギリギリに打っていく。これでは本当ならば、鍔に当たってしまう可能性が高いはず。
だから、打太刀は小手ではなく、自分の正中線を斬って見せている。
それをギリギリの間合いで抜いた仕太刀が、打太刀の正中線を外し、
自分の正中線を真っ直ぐに斬りにいくという、あくまで「正中線上の闘い」を表している。
だから打太刀・仕太刀とも、剣先は終始自分の正中線を外れることはない。
そのことで、一本目で学んだ「前後の見切り」に加えて「左右の見切り」を知るわけです。
三本目。
これは、昨日の記事の岡田教士や、プレジデント範士の四本目打太刀の動き説明のとおり、
「中心」の取り合いの「理」を伝えようとしているもので、
特に「入れ突きに萎やす」動きこそが「中心をとって相手に『乗る』」ということの大切さを伝えようとしている。
さらに。
佐々木氏は、静岡の井上範士からの教えとして、
一本目「正」(相手を一刀両断→人間として生きていく上で、決して正しいばかりが全てではないという反省)
二本目「仁」(相手より優位に立てば、そこに「慈悲」の心が生まれる)
三本目「勇」(勝つとか負けるとかに心を動かされない「不動の心」の表現)
を付け加えられて、さらに掘り下げて考察されています。
「一本目が「戦いに勝つための術」を教えている形だとすれば、この二本目は
「術から剣道本来の道に進む」その入り口を教えていると教わりました。
術から道へ、剣道の修行は、この二本目の形の修練を通って、剣道本来が
目指すべき「道」へむけた三本目の修行へと入ってゆきます。」
形だけをなぞることは簡単!・・・と思いきや、
本当にその「形」を表現しようとすることは並大抵ではない。
刀という相手を殺すための武器を扱い、
自分の命を曝け出しながら、
敵を「生かして」勝つ。
「相手の身を滅ぼさずに活かして」勝つ。
そこをふまえて、
もう一度じっくり確認したい動画。
「大日本帝国剣道形(完全版)」(全日本剣道連盟HPより)
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posted by mini98 at 19:07|
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