「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」のことです。
自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても
証明できないにもかかわらず確信できる力のことです。
ですから、もし「いいこと」の一覧表を示さなければ学ぶ気が起こらない、
報酬の確証が与えられなければ学ぶ気が起こらないという子どもがいたら、
その子どもにおいてはこの「先駆的に学ぶ力」は衰微していることになります。
(『日本辺境論』内田樹)
主体的・対話的で深い学び。
mini98はこの言葉を聞くたびに、
初めて参加した勝浦研修会での最終日、岡村先生の講話を思い出すのです。
「試合・審査がなくなっても、あなたは剣道を続けますか?」
剣士にとっての「学ぶ力」とはどういう力なのだろうか。
「この道場・学校に入ったら、全国大会に出場できる」
「全国大会に出場したら、進路が開ける」
「●段に合格したら・・・・(ちょっと思い浮かばん(笑))」
(昇段に挑戦する姿を自分が教える教え子に見せるということは、
大事なことだよ、とは言われたことがあります。そのお話には納得しました。)
自分は、そういうものを目の前にしめされないと、
剣道をやる気が失せるのだろうか。
また、失せるような子どもたちを育ててしまってはいないか。
ずっと岡村先生の言葉が頭にあります。
だから、剣道に関係なく、
生徒たちに話をするときにも、
話の内容は気をつけるようにしています。
自分もそうだと思うのですが、
目の前に「エサ」をぶら下げられないとなかなか動けない。
ナサケナイですけど。
でも、その「エサ」が何なのかは重要だと思うのです。
岡村先生のお話は、自分が行動する「エサ」は何なのかを問われていたのではないかと。
金ですか
地位・名誉ですか
それとも。
大好きな童話があって、
イソップの「3人のレンガ職人」のお話です。
旅人が、レンガを積んでいる一人の男に問います。
「何をしているのですか?」
「見て分からんのか!レンガを積んでいるんだよ。全く、朝から晩まで俺はレンガを積まなくちゃならない。
ほら、手もこのとおりさ!」
「大変ですね、では・・・」
そう言って、旅人がまた歩いていると、またレンガを積んでいる男に出会った。
「何をしているのですか?」
「私はね、大きな壁を作っているのさ。この仕事があるから家族を養っていけるんだよ。
ありがたいことだよ」
「頑張ってください。では・・・」
そう言って、旅人がまた歩き始めると、しばらくして別の男がイキイキした表情でレンガを積んでいた。
「何をしているのですか?」
「これはね。歴史に残る大聖堂を作っているんだよ。ここで多くの人々が祝福され、悲しみを払うのさ。
どうだ、素晴らしいことだろう?」
「ありがとうございます。頑張ってください。では・・・」
旅人は、元気いっぱいに歩き始めました。
(みたいな話だったと思います)
どんな「エサ」を子どもたちに示すか・・・
自分はどんな「エサ」で動いているのか。
ずっと悩みながらの毎日なのです。
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posted by mini98 at 22:40|
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