2019年12月31日

紅白歌合戦

紅白歌合戦を久しぶりに見ています。


注目は「竹内まりや」さんですね。


大好きなのはこの曲です。




久しぶりといえば、
これから息子と近所の神社に初詣に行くのもそうですね。
前回行ったのは息子がセンター試験受験直前でしたので。



しかし、



瞬間善処、前後際断。



見覚えのあるレインコートも、
息子がイライラして壁にあけた穴も(笑)
全て過去の話。
そして、過度に未来に期待もしない。




あとさきのいらぬところを思うなよ。ただなかほどの自由自在を。




今、この時を精一杯。
「爆発力」はここでも発揮されるべきなのです。




さて、そろそろ出かけますかね・・・





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2019年12月30日

問題提起

IMG_0017.jpg


「剣道は立派なものであると
私は信じております。」
(湯野正憲範士)



一年前の勝浦の研修で、初日の教養講座の講師は、皆さんご存知アレクサンダー・ベネット氏でした。

氏が学生を指導される中で、学生たちは「剣道をやってきてあなたが得たものは何か」という問いに対して、


「体力に自信があります」
「人間関係の大切さです」


・・・ぐらいしか答えがない。(もちろんそれも大事なことですが)
剣道そのものの魅力というか、根本的なことについて何も答えられないという事実。
これは指導者として大きな課題でなはいのかという問題提起。




前回参加した時は、最終日の教養講座での岡村先生のお話に「グッときた」mini98でしたが・・・



いきなり初日での問題提起(笑)



「剣道とはなんぞや、それはいかにあるべきかが、剣道の理念を通して哲学される必要がある。
新しい剣道の革命である。それは剣道は人間の文明であるという私の自信である。
剣道は新しく自然観、世界観に立って、宇宙生命の中に生きる人間生命として、人類完成の軌跡に
剣道を位置せしめようとする私の剣道観である。
それは、人間の生命革命でなければならない。

剣道は人類の文明たり得る」
(湯野正憲範士)




ベネット氏の問題提起に対して、
湯野範士のごとくmini98はその答えをしめすことができるか。




自分自身の剣道に対する取り組みが、その答えそのものなのです。




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2019年12月29日

稽古納め

久しぶりにminekitiさんと稽古。
5年・・・ブリくらいですかね。とにかく久しぶりの稽古でした。


実は、かつてプレジデント範士が高校指導者で活躍されていた頃の教え子のみなさんが、
プライベートで稽古される機会にmini98がお邪魔する形で今回の稽古が実現しました。


会場は、ヒデ教頭勤務校の立派な武道場。
参加者は、ヒデ教頭、YM先生、Y先生、H先生、minekitiさん、mini98。
(偶数で休憩なし(笑))


さすが皆さんA高校剣道部の卒業生、
試合勘というか、反応が素晴らしい。


管理職のヒデ先生も稽古充分で、いい面をいただきました。



minekitiさんとの稽古も「ピリピリ感」がたまりませんでしたね。
いい感じで今年の「稽古納め」ができたと思います。




結局。



こちらの「圧」に対して(まずはこれを相手に与えることができるか)
それに対しての相手の反応があるわけですが、
そこで相手が怯めば、そのまま打っていける。
そこで相手が攻め返してきた場合にも、それを制して自分が打つ機会がどうにも捉えられないというか。
モヤモヤマグマを感じて、打ちたいんでしょの「で」くらいで打って「ドンピシャ」の場合も何度かありましたが、
その前に反撃をくらうこともあったし、機会を逃すこともありました。



もちろん、打つ時は「爆発力」を持って打つことを心がけました。




打つときも、打たれる時も納得。
参加者の皆さんと稽古して気持ち良い時間を過ごすことができました。




多分これで「稽古納め」ですかね。
自宅に帰って、一年間の想いを込めて剣道着を洗濯し、剣道具・竹刀を手入れ。




直心是道場。



直心を持ってすれば、即ちそこが道場となる。
きれいに打たれて一年の稽古をスパッと終えることができて、
マニア名利に尽きます!(笑)



先生方、ありがとうございました!




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2019年12月28日

基本のテーマ

恒例春霜会年末稽古。

なんか、年々子どもたちの人数が増えているような(笑)
かつては面一杯に口を開けて打ち込んできた、こーんな小さかった子たちも、
今では高校生、大学生、社会人となり・・・そのまた後輩たちが育ってきている。


もちろん、来女木剣道スポーツ少年団が引き継がれた春風館の指導者たちも来スポのOBですので、
浅原先生からのひとすじの流れは、大きな流れになっているんだなあと今更ながら感じるわけです。


事務局長さんから、
「mini98さん、基本稽古指導を憲ちゃん先輩とお願い。そうだね・・・テーマは・・・」


て、テーマ?




「『爆発力』でお願いします!」




爆発力♪───O(≧∇≦)O────♪ キターーーーーーーー(笑)
(イヤミですか?)



というわけで、子どもたちに対して、憲ちゃん先輩と基本指導を行いました。
中身は、崇菱会でのプレジデント範士の指導を、子どもたち向けに多少アレンジして・・・


そうですね・・・よく鍛えられているものの、
足捌きの不正確なところがあったので、そこを中心に『爆発力』を(笑)
指導してて思ったんですが、mini98 自身も左足の引きつけが甘い。
この足の運びの不味さと、それを思い切って出せない精神力の弱さが『爆発力』につながらない原因なんだろうと。


指導と稽古は両輪なのだなあ。



憲ちゃん先輩との稽古は、
先輩も一歩もひかず、mini98も動かず。
「一瞬にかける」感じが先輩から伝わってきて、こちらも簡単には打っていけません。


面と面、突きと突き、小手と小手。
最後は、一瞬mini98が打ち気になった瞬間を面に乗られました。
さすが憲ちゃん。



その後の懇親会では、A T市の学習院と言われるY高校(笑)のOB
「憲ちゃん先輩」「ダマ先輩」とmini98で高校時代の寮生活のお話で盛り上がり。

ダマ先輩は、今や議会の副議長さん。
そして憲ちゃん先輩はH Y県警のお偉いさん。
mini98は・・・ヒラ教員ですが・・・Y高学閥で天下を取ろうと・・・してません(笑)



高校生、大学生の近況報告もあり、今回も大変盛り上がった会となりました。





また来年の夏に!




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2019年12月27日

ハイブリッド小手?

本日は、一般的に「仕事納め」らしいですね。
mini98は1日早く納刀させていただき・・・大掃除開始の初日でありました。

その合間。
剣道具の整理に取り掛かり・・・。


頭はいい感じの小手なんだけど、布団がいかれてる。
頭がいかれてるんだけど、布団はいいもの。


小手が二組。



・・・これはもう、分解して組み直す他ない!



ということで、完成しました!
(画像がどうしてもアップできないので・・・ごめんなさい)




布団は右だけ厚く拵えてあり・・・指導者用なんですね。
頭は織刺なんですが、いい感じに仕上がりました。
加えて、頭と布団の間の手首部分に一手間。


掃除してるんだか、小手を組み直してるんだか(笑)
妻の冷たい視線を浴びながらも、一年間稽古してきた時間に想いを馳せながら、
剣道具と向き合う時間を持てました。


昨日の竹刀もそうですが、
自分自身が使いやすいかどうかもそうですが、
相手の竹刀の動きを感じる「センサー」として、竹刀と小手のチョイスは重要です。


もちろん、素晴らしい職人さん作製の小手も素晴らしいけれど、
今回の小手のように、「いいものを寄せ集め」な感じもいいんじゃないでしょうか?



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2019年12月26日

竹刀探しの旅

先日の崇菱会稽古の前、
DD先生のお店に立ち寄って竹刀談議。
「いい竹刀が手に入らないくなってきた」問題について。






いや、



いつかは、自分で竹刀を竹を切り出し、自ら削って作成し、その竹刀を使って稽古したい。



そんなことを考えている私はマニアでしょうか(笑)


竹刀自作といえば玉利範士。
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範士の竹刀は細身で、弦は鯨のひげを使われていたそうです。
刀は武士の魂と言いますが、その「魂」を自分自身で作ろうとされた「剣心」というか・・・




マニアの大先輩ですね(笑)



竹刀探しの旅は、しばらく続きそうです。



その前に、竹刀に見合う「腕」を身につけないと(涙)




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2019年12月25日

自分に納得できる打ち

崇菱会稽古納め。


本日は、礼の後すぐに指導稽古。
mini98としては、「爆発力」をどう表現していくかがテーマ。

自分で、好きなタイミングで打つことはできないし、それをやっても「爆発力」にはつながらない。
かといって、相手をうかがい、相手に合わせるだけでも「爆発力」のある打突にはならないのです。



「いける」いや・・・まだか。
あ〜そこだったか〜。
ここではこんのか〜

だったらこれは?
あ〜だめか〜
(mini98心の声)



「肉体を鍛えても効果はない。肉体を使うものを鍛えなければならない。
理性のない鍛錬や難行苦行などは無価値である」

「座禅は本当は剣道のためとか、功徳があるとか、そういうものではないんですよ。
自分で自分が納得できる、そういうものですよ、座禅は。
剣道とは直接関係ない。だけど、座禅のその精神になると、剣道と関係してくる。
おっかなびっくりでは剣道はできない。どうしたら勝てるか、などと迷っていると
試合で硬くなる。座禅を徹底してやると、四戒がなくなる。死戒がなくなれば剣道はよくなる。
だから、剣道と座禅とは人血とも言えることです」
(小川忠太郎範士)




そんな打ちで相手が「切れる」のか?




そんなことを自問自答しながらの剣振りでした。





稽古後、マニアックM先生から、
「お疲れ様。今日のプレジデント範士の稽古も凄かったよ。
あれは多分、mii98さんに『爆発力とはこういうことや!』と範を示すつもりだったんじゃあないかと思うくらい、
基本のままの、まさに『爆発』した内容だったよ!」


というわけで動画拝見。
「へたくそ剣道理論」



うーん。
いつも通りのプレジデント範士(笑)
いつも通り、爆発しまくってます。
範士の凄いところは、
相手が誰であろうとも、変わらぬ爆発力だということですね。


それは、呼吸であり、構えであり、先の気分であり、
それらが範士の中で喧嘩せず、調和をとりながら相手に向かっている。
まさに「自分が自分で納得できる」打ちが繰り出されている。




なるほど。


年内の稽古で、
試してみたいと思います。




「魂」がこもった打ちへの道のりは遠い。




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2019年12月24日

魂を込める

「お疲れ様です。今日の稽古を見て、私自身が心得て稽古していることをお話しします。特に40代は
『打たれる稽古』をやることです。打たれない、あるいは打たせない稽古をやってもダメです。打たれない稽古は
中心がぶれて気持ちもぶれます。打たれてもいい。打たれない、打たせないはパワー不足でもある。
打たれる稽古、打たれても良いので体勢を崩さずに綺麗に打たれることです。ただし、打つ時は倍の気持ちで
打とうとして剣道も変わっていきました。割り切って打つ。気持ちを動かさずに体を崩さないことが大切です。」
(藤原崇郎範士)



勝浦の研修で、稽古が終わるたびに範士の先生方からお話をいただきました。
日本武道館から、研修の報告書が届き、あらためて先生方のお話を思い出しています。


あれから約一年。
プレジデント範士からの「爆発力がない」というmini98に対するご指摘は、
結局冒頭の範士の言葉に尽きるなあと思うわけです。



何を隠そうmini98、
打たれることについては、
全国屈指の実力を持っていると自負しております(笑)




しかしそれは、
「形にこだわった」だけの結果であって、範士の言われる、
「打つ時は倍の気持ちで打とうとして・・・」の気持ちを持ってではない。




構え=人間として生きる構え(決断、信念、自分の立ち方、立場)
剣道を習うことは、自己を習うことである。
自己を素材としつつ、剣道を離れず、剣道に囚われず。



打たれることを恐れず、
「今ここ」に集中し、自分の打ちを精一杯表現すること。




「魂」を込めた「打ち」を。





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2019年12月22日

審判と世界平和

県高等学校新人剣道大会 団体戦。
例年ならば、11月に剣道形・個人戦とともに行われるのですが、
今年は12月もあと10日あまり、のこの時期に行われました。

夏のインターハイで我が県女子が頑張ってくれたので、
女子の部は全国選抜の出場権も増え・・・男女とも熱気ある試合が展開されました。


それにしても、
審判というのは稽古と連動しているなあと。
「爆発力」というか「覚悟」というか、そういうものがやっぱり必要なのです。


何度やっても満足のいく審判はできない。
失敗だったなという部分もありましたが、
へたくそだなと思いますが、
もう穴があったら入りたいと・・・




もう後ろ向き発言はいいですね(笑)



プレジデント範士は、
「反則すれすれでプレーを行うのが『いい選手』と評価される競技もあるが、
剣道では、できるだけ反則から遠いところでプレーができるのがいい選手だ」
と言われます。


そこもきちんと判断し、
見逃さずに反則を与え、
かつ、試合を活性化し、善導する役割を果たす。




審判が良くなれば試合が良くなる。
試合が良くなれば剣道が良くなる。


剣道が良くなれば、国が良くなる。
国が良くなれば世界が平和になる。



はい、「大きく出ました」(笑)



でも、そこを見通して審判に立つことが、
審判をよくすることにつながるのではないでしょうかね。




そう言えば、年始の勝浦研修の報告書が届きました。
もう一年経つんですね・・・。




イノシシからネズミになるんかあ・・・




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2019年12月21日

本質を見抜く力

「・・・起こりというのは、こちらの風圧に対して反応してくるものを感じないといけません。
「メン」の「め・ん」では起こりではない。相手がメンと来る「メ」を面と打つのが起こりを打つこと。
メンと来る「メ」を小手と打つのが起こりを捉えることです。
それをつきつめていくと、心の兆すところを打つ。打とうとする「う」を打て、となります。
その一点を捉えて打つ。心では打ってしまっている。それが最高の起こりではないかと思います。」
(『剣道 審査員の目』奥島快男範士)


基本通りに、機会を捉えて、気迫(爆発力、捨て切る)を持って。
まずはこちらが主導権を握り、「先を取って」相手と対峙する。
これに対する相手の「反応」を読み取る力。



観の目強く、見の目弱く。



「懸待一致、出頭、観の目付け・・・。それらを総合的に身につけていくことが、
揺るぎない剣道を構築するために求められる条件であり、トップレベルの人たちは
常にそういうことを意識しつつ、無意識のうちに深くて神秘的な状態にまで持っていっている
ということではないでしょうか。
後から冷静に振り返ってみると、どうしてあそこでああいう技が出たんだろうかという技。
これこそが揺るぎない剣道が生み出す最高傑作であり、日々の努力の賜物であり結晶である、
という気もします。」
(谷 勝彦範士)




IMG_0008.jpg





ホトケ作って魂入れず状態



その「魂」とは何か。





ここに、大きなヒントがあるような気がします。





目に見えるものだけが「本質」とは限らないのです。





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2019年12月20日

LGBT

mini98とは同級生、ターヒロさんの勤務する学校は、現在男子校なのですが、
来春から女子生徒を受け入れるにあたり、



「女子ってどうなん?」と聞かれたことがあります。



どうなん?って。
どうなん?(笑)



その時は、
「男子の方が単純だよ」といっておきましたが(笑)
ターヒロ先生、時代はもはやそういう問題ではないのです。



「入学願書の性別欄廃止」



お茶の水女子大、戸籍上の男性受け入れ



LGBTの問題。

共学化をどうこう考えるよりも、
現在の共学校も、男子校も、女子校も、
まずは、今目の前にいる生徒たちの現状をきちんと捉えていくべきで。



「いくぞ!」ではなく「さあこい!」の精神は、
ここにも活きるのであります。



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2019年12月19日

冷暖自知

「涅槃は今ここにある。永遠もここにある。生も死もここにある。無限もここにある。
これは知性で考えるべきものではない。知性とか論理でわかったとしてもなんの役にも立たぬ。
 つまり、分別知は社会生活では役立つが、真剣で深刻な疑問については何も役立たない。

ではどうするか。自分の行いで体験しなければならない。
体験しなければ絶対にわからない。

砂糖を舐めたことがないのに、甘いということを『甘い』という文字だけでどうしてわかろうか。
これを冷暖自知(れいだんじち)という。砂糖だけではない。この人生にしても同じことだ。

だから、考えてたどり着こうとしてはならない。いくら考えたとしても、
自分の足で歩かなければ、どこへもたどり着かない。

教えてすむというのなら、君自身が生きている甲斐がないでないか。」
(鈴木大拙の言葉 ー 『日本の哲学者とお茶を飲む』白取春彦)






まさに、mini98に対してのプレジデント範士の言葉の内容。


頭で考えて、目の前の相手に悩み、
自分の行動を自分で制限している姿。

剣道での自分は、
人生での自分と同じ。




「生きながら死人となりてなりはてて心のままになすわざぞよき」
(至道無難禅師)



「直心是道場」とは、分別智に生きることなく、ありのままに生きる=世間的には死に切ることによって、
本来の自分となるということでもあるのではないか。



「爆発力」は、手に入れるものではなく、
すでにある。



目の前の相手に、状況に、
ひたすらに精一杯にぶつかっていくしかないのである。




修行と悟りは一つ。





「禅シリーズ」はつづく(笑)



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2019年12月18日

剣と禅は

崇菱会稽古。

プレジデント範士による基本稽古は、
先週に引き続き「面を引き出す、引き出される感覚をつかむ」「対応技」


「合気になる」ということが大事だということはよく言われるが、
実際、合気になるという「感覚」をつかんでいる人は少ないのではないだろうか。








さて、
本日は「若手」が範士にかかる事ができる。
4番手ゲット。


ここ2〜3回の範士との稽古。
以前にもまして、範士の「圧」を感じる。
グッグッと間を詰めてこられ、息ができない(息をしたらいけないところではあるんですが)
我慢できずに引き出され、振り向くと、もうそこには範士の剣先がピタリとmini98につけられている。


「相手と一体となる」な〜んて感じるヒマも与えられない。
カッコなんてつけていられない。
打ちを出せば、


「な〜にをしとるか!」
「一本にならん!」
「そ〜んなんじゃ!(ダメだ!)」


範士の声が飛ぶ。

なすすべもなく、最後面を打ち抜かれて終了。





「『爆発』してないよね。形だけは繕っているものの、何せ「気」が充実してバーンと「これが私の打ちですよ!」
と、表現するものが一つもないから・・・まるで、見かけは立派な人形だが、作り手の魂が入っていなくて、見る人に
何も感じさせられない・・・と同じ。ホトケ作って魂入れずというが、そんな感じがする。」





なんも言えねえ(笑)




誰に見てもらおうとも思わない。
自分以上に大きく強く見せようとも思わない。
ただ、自分のまま、ありのまま、必死になって「今」を生きている自分を、



審査に合格したいと思って、
そのための稽古なんてしていては、
「道」からどんどん離れていってしまう。


「禅」と「剣」が一致する部分があるとすれば、
多分そこなのである。





追伸。
ミキティーへお渡しするはずだった「例のブツ」は、
先週「忘れんよーにここに入れとこ」と剣道具袋のサイドポケットに入れていた、ことを忘れて(笑)

大変失礼しました。「ブツ」は忘れてなかったけど、しまった場所を「忘れて」いました。
来週は「おまけ」をつけてお渡しします。(サイドポケットに入れるー備忘録)





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2019年12月17日

公案

IMG0002.jpg
(『隻手』白隠)




昨日のつづき。


相手があるから「迷い」が生じる。
しかし、迷いがなければその先に進むこともできない。
相手がいなければ、「自分とはなんであるか」にも気付くことができない。


そこで、冒頭の絵である。



「両手を打って声あり、隻手になんの声かある」



白隠自身の言葉がある。



「現実世界の一切の煩わしさ、迷いをうちすてて、もっぱらおのれの肚(丹田)に向かって
観想し参究する方法である。この我が肚は、音もなければ臭いもないし、男でも女でもなく色もない。
僧でなければ俗でもない。老幼、尊卑のいずれでもない。あらゆる姿を超絶している。
その肚がそのまま我が本来の面目である」
(『ちりちりぐさ』白隠)



行基のうたがある。


「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば、父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」



一休の言葉がある。


「闇の夜に、鳴かぬ鴉の声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」



自と他を分けない。
自と自然を分けない。
自と闇を分けない。



モヤモヤマグマがわいたとき、
自分にも相手にも同じように「迷い」「恐れ」「疑い」が生じる。
その、自分と相手を丸ごと超えた時、



隻手の音声の公案が解けるのではないだろうか。




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2019年12月16日

身心脱落

身心脱落


脱落とは体験の世界に没入することである。身心を超越した立場で、身心一如という体験の世界に
没入するしてゆくことである。
「自己の身心、および佗己の身心」、佗己とは自己以外の、自己をあらしめている全ての「ものごと」をいう。


自己をあらしめる「他」であるから、佗「己」という。即ち世界の中で自己以外は全ての「ものごと」が。
「他己」である。自己の身心は、実は他己からあらしめられている。、即ち「自己即佗己の身心」である。
自己の身心を脱落せしむることは佗己の身心を脱落せしめることである。

即ち自己佗己の身心を同時同事として超越する、これが真の「脱落」である。


自己の身心だけ超越するといって、自己をあらしめている他己を残しておくのでは
実は自己の身心は超越できないのである。

他己を自己との対立に於いて認めた他己を残しておいて、自己だけ脱落しようとしても、それはできないことである。

それをできたと考えるならば、それはまだ本当に脱落していないからである。
自己を真に超越するには、自己と対立した、また、自己をあらしめている他己をも超越しなくてはならない。」
(『艸生庵残筆』湯野正憲範士)




自分を「自分」と自覚させてくれるのは、他者があってこそ。
相手がいるから迷い、悩み、疑い、恐れが生じる。それが自分の正体なのだ。


敵は相手であり、自分なのだし、
そういう意味では敵はいない。
自他は一つ。


自分を超えるためには、
相手もろとも超えなければならない。



これこそが、「瞬間々々の自己創造」ということなのだ。



自分に囚われず、相手に囚われず。



一生かけて、解いていく。




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2019年12月15日

学びと直心

「ルーヴルは我々が読み方を教わる本です。しかし、先人たちの画法を覚えるだけで満足せず、美しい自然を研究しましょう。
自然から精神を引き出し、自分を表現することに努めましょう。また、時間と反省とが視覚を少しづつ整理し、理解力がもたらされます。」
(セザンヌ)




息子の下宿に転がっていた本に書かれていた言葉です。
昨夜は、春からの生活に不安いっぱいの息子と、焼き鳥をつまみながら話し込みました。
まあ、今の社会状況と、mini98が社会人一年生の頃とは全く違うので、参考にはならないと思うんですが。
それでも、こういう「大人の話題」で酒を飲みながら息子と話ができること自体、
本当に貴重な時間を過ごすことができたと思います。




どんな「巨匠」も最初は先人の模倣から始める。




mini98自身も、
先輩たちの姿を見ながら、
思考錯誤して生徒や同僚とぶつかってきました。
でも、その時の「気持ち」って大事だなあと。



「相手と構えているとき、自分が直心、素直な気持ちでいると、
相手が打とうとするのが映る。
泣き声で赤ちゃんの気持ちが母親に映るのと同じ。
それで相手が打とうとする「ウ」のところを打つ。
これが『機先を制する』ということ」
(『小川忠太郎範士 剣道講話(一)』)





直心是道場




親子共々、この言葉の意味を噛み締めなければいけないときです。





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2019年12月13日

ツァラトゥストラかく語りき

高く登ろうとするなら、
自分の足を用いよ。
引き上げてもらおうとするな。
ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」



この景色を見るのも多分最後だろうなあ。



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神戸に来ています。


もう25年前になるんですね。
会場に流れている音楽に包まれてこの場に立つと、
このイベントの本当の意味を考えさせられます。


自分自身の力でしっかりと生きていくこと。





その意味を知る大事な機会となりました。






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2019年12月12日

烈士暮年壮心不己

表装しなければと思いつつ、
まだそのまま。


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恩師浅原先生、八十六歳書
「烈士暮年壮心不己」(老いて晩年を迎えても、勇者は志を忘れることはない)



この言葉をいただいた年よりも、さらに年を重ねた今、
さらにこの言葉の重みが感じられます。



「剣道は心(理)である。心とは自己である。自己を離れて剣道はない。
今の人達は、自己を離れて相手ばかりを気にしている。
「あれにはあーの」「これにはこうの」
「あーしたらよいの」「あーしたら駄目だったの」等と自己を離れた剣道をやっている。
それでは方角が間違っている。自己を離れては剣道はない。
剣道は、真実の自己を悟るのが最初の関門である。これを『理を悟る』という」
(『小川忠太郎範士剣道講話』)




「剣道で世界平和」という「志」を持つということは、
浅原先生に剣道を学んだ者なら、少なからず感じていることと思います。




師が生死をくぐり抜けて、私たちに「剣道」を教えてくださった。
そして「剣道」を知れば知るほど、師の指導の意味が理解できてくるのです。




「mini98、大きく面を打て!」




面を打つ作業は、
相手と調和し、相手に媚びず、
自分を見つめ、自分を主張し、
自分を自分で自分できたときに成立する。




そのことが可能であるという大前提が、「平和」であるということなのである。






勇者は晩年を迎えても志を忘れることはない。





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2019年12月11日

先々の先

崇菱会稽古。

プレジデント範士による基本稽古は、
まずは面。面を決める。
続いて、面に対して出小手、返し胴。


小手は上から乗る気持ちで、相手が面に振り上げる動きをするから、こちらが下にもぐり込まなくてもよい。
向こうに放り投げる気持ちで。

胴は間合いに気をつけて、「切る」気持ちを忘れない。そうすれば竹刀は相手を抜けて自分の中段の構えあたりまで振れる。



「いいですか、みなさんしっかり『演じて』くださいよ!」


ここは、範士がいわれる「場面」をしっかりと頭の中に描いて、そのイメージ通りに身体で表現できるように。
ここでできたイメージを、この後の稽古で自分なりに工夫することが大事。

これは、稽古後の範士の講話でも言われていました。



その後の稽古。
まずはカッシー先生。
「モヤモヤしてるんですよねっ!」の「ねっ!」のところでカッシー先生が面にこられ、打たれる。


・・・なるほど、これか・・・じゃない!(笑)


その後も色々試してみるが・・・



つまりは、この「モヤモヤ」を自分自身で打破すること。
これに尽きる。まさに「打ちたくなったら打つんや」である。



稽古後のご挨拶。
「(mini98へ)一年間稽古ありがとうございました。次の年もよろしくお願いします」と深々頭を下げられる。


いえいえ、こちらこそありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします、とmini98も頭を下げる。


顔を上げた瞬間、カッシー先生が「来年は頑張ろうね」(これって審査のことだろうなあ)






はーい(笑)




「日本剣道形の奥義は『先々の先の打突』です。五分と五分の気攻めが「先」。
自分が打つぞーという「気」に対して相手が打ってこようとするのが二つ目の「先」
その二つの先を乗り越えて打っていくのが『先々の先』です」
(『剣道日本』一月号 昇段審査徹底研究)



剣道形にはいろんなヒントがあるのです。



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2019年12月10日

銘刀清正の教え

IMG_1341 2.JPG


「佐州住清正」届きました。


先日カズ先生から見せていただいた「如水」(生産中止)に比べると・・・ゴツゴツして「荒削り」な感じがします。
それでも剣先にかけての「シュッ」とした感じがいいですね。
やや先調子で、細身にしてもらったので、振ると「ビュンっ」と先が伸びる感じがします。






「この竹刀はねえ、守国といってね、竹刀作りの名人だったんだ。私の大事な職人仲間でね、
一日に何本しか作らないんだが、作っては天気の良い日も悪い日も長靴を履いて私のところに
持ってきてはポンと置いて酒代を持って帰っていくのね。だからこれだけはヤツの形見だから
あげられないわけ」というご主人の説明と、
「守国じゃないか、お前にはまだもったいないな。持田(盛二)先生が愛用されていた竹刀だよ」
という湯野先生の言葉を思い出していた。

「剣心が伝わらなかったら剣術は伝わらなかった」

「一つの物に心付けされたものは、人間として生きていることの証そのものである。それは
職人のわざとこころであり、また剣士のわざとこころでもあった」
(『快剣撥雲』作道正夫範士ー銘刀守国の教え)



カンナの跡に佐渡の職人さんの「想い」が感じられる。
その「想い」が受け止められるよう、修行を積まなくては。





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