2019年10月31日

玄関

放課後、高3の生徒に声をかけられました。



「先生、面接試験の練習していただけませんか?」



もちろん。
では、ということで場所を確保し、開始。


まずは定番の質問。
あなたが本学を受験された理由をお聞かせください。



「はい、私が中学生の時、祖母が亡くなって落ち込んでしまっていたところ、学校のカウンセラーの先生に話を聞いていただき、非常に気持ちが楽になりました。そこから私はカウンセラーを目指そうと・・・・」



ちょっとまった!
聞くけど、それは本当の話か?
聞いている限り嘘っぽいね。
正直に言ってごらん。カウンセラーを目指すようになったのはいつ?



「高2の後半からです・・・実は私、学校に来れなかった時期があって・・・その時保健室の先生からカウンセリング受けてみたらと言われて、その時の先生がすごく印象にあるんですけれど、でも、不登校気味だったなんて、言いたくなくて・・・」



そうか。でも、それが正直な自分の気持ちなのならば、
それを活かして志望理由を考え直しなさい。
mini98は、君の不登校気味だった過去は、不利になるとは思わんよ。
むしろ、そこを変えてくれた人に出会った経験は、貴重なんじゃないか?




「言っていいんですか?」




いいんです(笑)




どうも、高3の間では「面接や小論文指導で『ねちっこくて細かい先生』」と思われているようで、
敬遠する生徒もいるようですが、マニアな生徒は今回みたいに「志願」してきます(笑)



玄関=禅宗において,玄妙に入る関門の意でこの名がある。



いよいよ「修行の道」に入る彼女たちにとって、
その世界の門前で立っている修行僧の前にあらわれた「殿司(でんす)=(入門の際、やる気がないなら帰れ!と厳しく追い返す役目)」
のようでありたいと思います。




その「ねちっこさ」が稽古になぜ活きないのか(笑)








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posted by mini98 at 23:50| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月30日

相手とキチンと向かい合うこと

崇菱会稽古。


本日のプレジデント範士の基本稽古は、多くの時間を4人1組になり、1組が申し合わせで稽古をして、それを残りのふたりが
批評するというスタイルで行われました。


mini98は、少し年齢の離れた先輩方との組みだったので、
スピードで勝負しても意味はない。
どう機会を作るか、を考えました。


相手が、小手ー面を打ってくる、その小手と面の間で相手の面を打つとか。


自分に課題を与えて、自分で実践することはできるのだけれども、
相手や、他の組みの批評となると難しいですね。



その後の指導稽古。
本日は、年齢制限なく範士に稽古をお願いできる週だったのですが、
「できるだけ、今月私と稽古した人でない方でお願いします」と事前に範士から注意がありましたので、
プレジデント範士にはお願いできませんでした。


ただ、稽古を待っている間、範士の稽古を拝見する事ができ、
思ったのは、範士の「打つ機会の作り方」が、基本稽古の範士の指導通りであることですね。



「技を出す前の工夫」




呼吸と、
範士は、剣道形の仕太刀の動きのように、
相手に「機を見て」の状態を作り出しているんですね。


大変参考になりました。
そのことをその後の稽古に活かそうと思うのですが、
そう簡単にはいきません(笑)




相手と「キチンと向き合う」こと。




ここが大事と思い知らされました。




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posted by mini98 at 23:57| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月29日

剣道は文化である

お隣、韓国では、年上の人にお酒を勧められたとき、

「おひとつどうぞ」

いえ、ごめんなさい。

「いやいや、今日はいいじゃないか」

いえいえ、でも・・・


と・・・2回断っても、


「いいじゃないか、さあ!」


とさらに勧められたら、さすがに、3回断ると「ワシの酒が飲めんのか状態」になり、失礼となるので(笑)


「そうですか。ではいただきます」と受けるのだそうです。


その際も、杯を両手で持ち、감사합니다.(カムサハムニダ ありがとうございます)と言って、口元が相手に見えないようにして横を向いて飲む。



これが「常識」なのだそうです。
さすがに儒教の国ですね。



ヒロダイ稽古。

「呼吸」の使い方が難しい。学生たちは、思わぬところで反応したり打ってきたりするので、
そこで呼吸が乱れてしまう。

苦しいけれども、そこが我慢できたときは満足した打ちが出る。
(もちろん、抜かれたりかわされたりするんですが、あくまで自分の中で)



冒頭のお話は、稽古後のプレジデント範士の学生たちに対するお話から思い出したことです。



相手が「どう考えているのか」や「どう行動しようとしているのか」を先読みして考え、行動する。
剣道は、まさに「手段」なのであり「目的」ではない。
そこを通じて、何を伝えるのか。



「教育者」として、質の高い(とmini98が言うと失礼なのですが)お話だったと思います。
あらゆる場面が「剣道」であり「教育」なのだなあと。



まてよ?



そうすると、
剣道は「手段」なのではなく「目的」そのものとも言えるかもしれません。





剣道は文化である。




そうあらためて感じる事ができた稽古でした。





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posted by mini98 at 23:08| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月28日

勲章

伸びた鼻をへし折られる。



そんな経験、マニアの皆様もあるのではないでしょうか。
mini98が教員になって数年たち、「教員もどき」のくせに、さも「ベテラン」みたいに(サルマネでしかないんですが)思っていた頃。
担任として「人権教育」なるものをクラスの生徒にする機会があって。


「・・・あーいいか?差別というものはな、最も人間として醜い行為なんや。絶対にしたらダメ。差別されている人たちと『ともに生きていく』事が大事なんや」


なーんて。


「じゃあ今日の感想文書いて。それ提出したら、今日の授業は終わり!」


・・・自分では、いい授業をしたと思っているわけです。
感想文を見ても、

「先生のいう通りだと思いました」
「差別はいけないと思います」
「これから頑張っていこうと思います」

・・・と前向きな内容が多く、大満足!



それでも気になったのは、
いつもは真面目で、成績も良く、真剣に話を聞いてくれるはずの生徒が、
人権の話をmini98が話しはじめると、机に突っ伏している。
感想文も白紙。


どう考えてもおかしい。
(これくらいは『教員もどき』でもわかった(笑))



本人を呼んで話をしても
「もういいです」と埒が明かない。
家庭訪問しても、保護者は「本人にはよく言っておきます」で終わる。



八方塞がりで、
もう一度本人を呼んで、
「どうしたんや?」と聞くと、散々涙をこぼした後、



「先生の(人権の)授業って、意味あるんですか?」と一言。



そこからはもう何も聞き出せませんでした。
後から、その子の友人数人から聞いた話を総合すると、
彼女の弟に障害があって、母親が弟の面倒を見られない時は、ずっと彼女が面倒を見ていて。

mini98が大満足の授業をして、
教室からmini98が出て行った後の教室の雰囲気は、
「所詮先生も『綺麗事』しか言わんのよね」の雰囲気に満ち溢れ、
普段の生活の中で、ちょっと言い間違えたり、どもったり、こけたりすると、
「ガイジ」(障がい者)みたいという発言と笑い声が飛び交う。


そんなクラスの雰囲気の中で、
「このクラスの中で、絶対に自分の家族の話はしない」と彼女は決めて、
結局、やりきれない思いのまま、卒業していったのです。



その後、
その彼女からの連絡は一切ありません。
(そりゃそうですよね)




この担任としての苦い思い出は、
絶対に忘れてはならないと思っています。



でも、過去は変えられる。
そのことを今、目の前の生徒たちに明らかにして、
自分自身の中にある人間の「醜さ」を(=あの時のmini98そのもの)見つめるきっかけにしてほしい。


ダメ教員には変わりはありませんが、
自分の至らなさをさらけ出さないと、生徒たちの心の深いところには響かないんだということは、
この時の生徒に確実に教わったと思います。




相手が、自分自身を磨く『砥石』となる。



へし折られた鼻の数は、
教員としても、人間としても、剣士としても、
ある意味『勲章』だと思っています。



ポキポキ。



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posted by mini98 at 22:40| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月27日

挨拶と攻め

毎朝、校門前に立ち「おはよう」と生徒に声をかける。
生徒指導部の先生方の「生徒に対する指導」とは別に、
ある仲間と自主的に始めたわけであるが、



毎日声をかけていると、
日によって生徒から返ってくる「おはようございます」が微妙に違う事があることに気づく。


元気があったり、なかったり。
顔色が良かったり悪かったり。



こちらが毎日変わらないからこそ、相手の「変化」に気づく事ができる。



まったく反応がない生徒もいる。
しょーじきに言うと、「この、小生意気な娘っ子が!」と思うのであるが(笑)
それでも毎日「おはよう」と声をかける。



「毎日同じコースを同じ時間に自転車で散歩される管長さんは、道場に差しかかる前、別な場所でやはり毎朝逢うお爺さんがいたらしい。そこでも管長さんは毎朝「おはようございます」と丁寧に挨拶されるのだが、そのお爺さんは答えなかったのだと云う。しかし次の日もその次の日も、管長さんは変わらずに挨拶される。それでも相手は答えない。それが3年続いたらしい。
 どれだけその事態が珍しいことか、考えてみていただきたい。答えない相手に挨拶し続けることは、そう簡単にはできないはずである。大抵は腹を立て、自分も挨拶をやめてしまうか、教育的な言辞を吐いてしまうだろう。例えば、「あんた、挨拶ぐらいしたらどうなんだ」とか。人によっては「人間とは」などと説教する人だっているだろう。しかし、管長さんはまるで昨日のことを覚えていないとでもいうように、相変わらぬ挨拶をし続けた。(中略)そうして3年後のある朝、そのお爺さんは管長さんの挨拶に立ち止まり、近づいてきて号泣したのだった。」






挨拶を返さない生徒に対して、
「お前さあ・・・」と言いたいのだけれども、
それを言わないことも「指導」なのかもしれません。



「一挨一拶、深浅を見んことを要す」(『碧巌録』)


相手の心の深浅を見るためには、
こちらが心を動かさない事が必要なのである。



これも「攻め」なのかもしれません。






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2019年10月26日

小川忠太郎の世界

小川忠太郎の世界。




天才は怖くないが、努力は怖い。必ず伸び続ける。



絶対はある。自分がいる。この存在は絶対である。しかし、それが活動するとなると絶対はない。



肉体を鍛えても効果はない。肉体を使うものを鍛えなければならない。理性のない鍛錬や難行苦行などは、無価値である。



普通はあるところで名利(名誉と利益)で低迷してしまう。そこを突き抜けなければならない。



私は、剣道以外の人から多くを学んだ。剣道だけで本当にものが分かるようになるとは言えない。



座禅は本当は剣道のためとか、功徳があるとか、そう言うものではないんですよ。自分で自分が納得できる、そう言うものですよ。
座禅は、剣道とは直接関係ない。だけど、座禅のその精神になると、剣道と関係してくる。おっかなびっくりでは剣道はできない。
どうしたら勝てるかなどど迷っていると試合で硬くなる。座禅を徹底してやると四戒(驚懼疑惑)がなくなる。四戒がなくなれば、
剣道は良くなる。だから剣道と座禅は一つとも言えるんです。



40過ぎたら、稽古は量だけ詰めてもダメですよ。質の良い稽古をしなければ何にもなりません。



自分一人だけで悟るのは浅いですね。相手、周りを含めて悟らなければ深い悟りとは言えませんね。順境も逆境も楽しめるようでなければ本物ではありません。逆境を切り抜けられないで潰れる人が多い。心すべきことです。

(『剣道時代』2000年10月号)



どうしても打ち遅れてしまう。


・・・と言うmini98の問題に対して、
先日のプレジデント範士からの言葉が、最近のmini98の稽古の課題となっています。


「五分五分から、自分が相手を上回ったところでないと打っていけない。そうではなくて、自分が四とか時には三の状態からでも打っていく。
そこからしか打つ機会を掴むことはできない」






(何回かご紹介した動画ですが・・・)



「(自分にとっての失敗の)過去は、(自分の捉え方次第で)「そうであって良かった」ということに変えられる」という言葉に。
範士の言葉がつながります。
失敗を恐れずに、「先」をとって、なんとかカタチにしていくことしかできないんですね。



自分の歩んできた人生に、胸を張って
「人生に失敗なんかない。だから前を向いて進んでいけばいい」と言い切れる人生でありたい。
そういう「生き方」が剣道にあらわれるんですね。






・・・しかし、小川忠太郎範士と、キングコング西野がつながるという(笑)






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2019年10月25日

約束の時計台

「・・・不思議なもので、その心の状態が自分の運勢になってくるんです。運は『運ぶ』と書く。光の方向を向いていると、運は自分に好転していく。その反対に、妬み、恨み、嫉妬の強い人は闇の方に運勢が運ばれていき、心穏やかな安穏を得ることはできません」

「妬みや嫉妬の強い人は努力癖がない。怠け癖はあっても。あの人ばかりなんであんなに恵まれているのか、どうして成功するのか、とか指をくわえて見ているだけ。普段努力していないから。人生には波があって、チャンスは必ずあります。そのチャンスの時って、意外とピンチの時が多いんです。でも普段努力している人なら、その努力を土台にピンチの中から何かを掴んでくる。努力していないと、そのチャンスが掴めない」
(塩沼亮潤大阿闍梨)




自分が相手に有効な「攻め」をしていないのに、
相手が思い通りに動いてくれないことに対してイラつく。
そのクセ、相手に攻められるとなす術もなく打たれてしまう。



それはつまり、
努力もせずに愚痴を言っていることと同じです。



もちろん、
誰もそうなろうとは思っていないのだけれど、
頭で考えたように、身体が動かない。


「そうしちゃいけないこと」は誰もが理解している。


だけど、塩沼さんがおっしゃる通り、
「医師の国家試験に通ったばかりの若い医師」と一緒で、
頭で知っただけ、物知りなだけで、色々考えて悟ったような気になっているだけ。




諦めずに、
自分の欠点を心に留めて、
克服しようとやり続ける。







時計の針は、
1時、2時、3時・・・と、時を重ねるごとに必ず長針が短針を追い越す。


だけど、11時台だけは、追い越せずに、12時を迎えてしまう。


絵本作家の西野亮廣さんはこういうメッセージを贈っている。



「12時の鐘が鳴る前には、必ず『報われない時がある』ということ。でも大丈夫。人生に失敗なんかない。だから、挑戦してください」







稽古とは、
そういうことなのだ。






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2019年10月24日

私の身体は元気がいい

「私が40歳を過ぎた頃、「中島、人に預ける稽古をするな」と(岡村忠典先生に)言われました。私は若い頃から打突の機会として、出頭中心の稽古を多くやってきました。「自分の先が弱いから、相手の攻めに合わせて出てくる。相手の攻めや色には出ずに、打ちに対しては打ちでいけ」とよくご指導していただきました。しかし、攻めや間合いなどは非常に難しい問題であり、先生との稽古も結局最後は引き出されてしまいました」
(『剣道昇段審査合格の秘密』中島博昭教士)










mni98と中島先生との初稽古は、
春霜会事務局長さんや、都会の先輩と参加した勝浦研修でした。

「mini98さん、中島先生に懸かってごらんや。きっといい稽古になるよ」と事務局長さんが言うので、
それは是非!とお願いしました。
先生はスラッとした構えで、まさに「正剣」
最後はズバッと面をいただいて終了。



稽古後、ご挨拶に行くと。
「元気のいい稽古でしたね」と言っていただきました。



これが確か14年前。



そして今年初めの勝浦研修で、再び稽古をお願いしました。
この時は、研修期間中2回稽古をいただきました。




稽古後、「いや、元気のいい稽古でしたね」と、先生。




さらにさらに、
今夏のインターハイでの朝稽古。
もちろんお願いしましたよ!




「本当に、元気のいい稽古をいただきました」




・・・マニアのみなさん、結論を言いますよ。

mini98の稽古は『元気がいい』んです(笑)






しかしね、中島先生ご自身も、この20年近い期間中に稽古を積まれているわけで。
もちろん、mini98も稽古を積んでいる。


稽古後の先生の言葉は、ずっと「元気がいい」と言われるわけですが、その「中身」は違っていると思うのです。
(ま、もちろん先生が面識のないお相手には定形句でそう言われている可能性もあるのだけれど、そこはマニアックに分析します)



(以前に比べて)良くなった、と言われるのももちろん「進歩」
でも、以前と変わらず、元気がいいと言われることもまた「進歩」なのかなと。





「人に預ける稽古をするな」




剣道は自分自身で、自分の進むべき道を切り開いていく作業なのだから。





まずは「元気」良く稽古を積む事が大事ですね。





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2019年10月23日

『破・離』を意識した『守』

崇菱会稽古。


プレジデント範士による基本稽古。
ざっくり言えば「面打ちの稽古」なのですが、
本日範士は受講生に対して「最小限のアドバイスから、どれだけ自分で考えて工夫するか」を求められていたようです。




「私(プレジデント範士)の指導のおかげで試合・審査で結果を残せました。と言ってもらえる事があるのだが、本当に結果を残す人というのは、他人のアドバイスから自分の課題を見つめ直し、工夫して努力して結果を残すのであって、何か私のアドバイスに従っていたら自然に結果が残せると思っていたら大間違いだ。」




厳しかったですね。
心にグサッときましたね。



これまで、
「面」とか「出端を狙わない」とか「先」とか「乗る」とか
「呼吸」とか・・・課題にしてきましたが。


今思うと、それらの課題は全部同じ土俵上のものであって、
同じ課題なのだ。



それから本日の範士の言葉として、
「『守』の中にも常に『破』を意識して稽古を積む」というものがありました。



一歩前の未知の領域に踏み出す。
その勇気、覇気。




この部分は、誰のアドバイスを受けても、
自分で掴んで自分で解決していくしかない。




百錬自得。





でも、その後のお銀姉さんとの稽古では、
最初の「気」「呼吸」が持続せず、味気のない稽古になってしまった。





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2019年10月22日

限定が知を生み出す

ある日の崇菱会稽古で、布袋様より

「mini98さん。これはT先生が石原忠美先生の言葉をまとめられた資料だ。
ぜひmini98さんの剣道の研究に役立ててほしい。」


と、書類を預かりました。


「稽古では必ず最初に一本を取ること。これは習慣になるので必ず取るよう工夫する。
小・中・高・大学生の方々に、稽古で、かかり稽古ということは知っていると思うが武道館では先生方が多いので、
稽古をお願いする時、一斉の懸り稽古でないときは、先生方に懸り稽古と試合稽古の中間の稽古をして
技をどしどし出す。十本打って、一本も当たらないかもしれないが、これに懲りることなく技を出していくうちに、
自分のものになるのである。
私も大腿部が痛いので時には上段をとったり色々と稽古をかえている」
(平4.2.18)


また、松本敏夫先生の言葉として、
石原先生が紹介されているものに、

「小手を打つのは咽喉からの気合いで打つ。
面はミゾオチのところからの気合いで打つ。
突きは丹田の気合いで突く。
胴は腹からの気合いで打つ。
打突をする時の留意すべきことである。

剣道では技にしかけ技・応じ技があるが、待ち稽古ではこのしかけ技が使えない。三殺法で攻めて、しかけ技を出すことが大切で、
その中でも面は50%、小手、突きはそれ以下で、面の打てる稽古をつむことが大切である」
(平4.3.17)



剣道を学ぶものは、自己を学ぶと同時に、
「剣心を伝える」義務を負うている。


武術家 甲野善紀と
脳科学者 茂木健一郎が、こんな対談をしています。

「身体というのはある種の『制限』ですよね。もし、制限するものがなくて自由自在だったら、お茶を入れるような簡単なことでも、それを思考だけで行おうとすると膨大な情報がいる。しかし身体という、制限された『モノ』があることによって、何をしたらいいかが見えてくる。生物の進化を見ても、細菌のようなものからアメーバみたいなものになり、昆虫のようなはっきりとした形をとるまではずいぶん時間がかかっています。さらに、爬虫類や両生類、哺乳類が登場するわけですが、いずれも『身体』という制限が基となって、新たな生き物が生まれてくる。限定があって初めて、無数の情報が編集され、カタチになるわけですね。これは逆説的と言えば逆説的なのですが、身体という限定によって多様なものが生まれてくるということなんじゃないかと思うのです」






「運命は完璧に決まっていると同時に完璧に自由である」


つまり、何が言いたいかというと、
『破』は『守』からしか絶対に生まれないということです。



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2019年10月21日

遺産

一年前の「直心是道場」の記事。
ちょっと長いですが、引用します。


(以下引用)

「浅見の独り言」に、戸田忠男範士の言葉として、以下の言葉が紹介されていた。


「竹の棒で人をたたくことが上手になるのではなくて
幼いうちから相手に正対し
堂々と立ち会う気迫と、
決して途中で逃げ出さない勇気を養うべく稽古することにより、

たとえ相手がはるかに年配者といえども、
相手が間違っていると思ったら向かっていける心、
そして、自分が間違っていれば
たとえ相手が自分より弱い相手であっても自分の非を認められる勇気。
そういう気持ちを持てるのであって、
試合で勝った嬉しさなどは、誕生日のプレゼントぐらいの、
人生においてはごく小さいものになるでしょうね」
(『剣道日本』1999年4月号)



「剣道とは、刀を手にし方便に従い相手を前に置き、仮に勝敗を論じ、真の自己の、今の、ここの精一杯のはたらきを鍛錬し、人生を創造することである」
をもっと具体的にいうと、こうなるのでしょうね。



自分よりも年上だろうが、年下だろうが、
自分よりも強かろうが、弱かろうが、
相手の前に「精一杯の自分」で立ち切る。



稽古すればするほど、自分の弱さが見えてくる。
生きれば生きるほど、自分の至らなさがわかる。


だけど、だからこそ、
稽古するし、許される限り生き続けなければならない。
「構え」続けなければならない。



「負けの肯定」とは、
「負けてもいい」ではなくて、
「勝ち負けを超えて、相手に正対する」ということなのだ。




自分を自分するために。

(引用終わり)


人間は、その時その時の「学び」を記録することによって、
「学び」が整理され「遺産」として残すことができる。
その「遺産」は、時を超えて未来の「自分でない誰か」に「知識」や「勇気」を与えることができる。
そしてまた、そこから得たものを「遺産」として残し、次の世代に伝えていくことができる。



剣心が伝わらなければ、剣術は伝わらなかった。



今の「自分」を一番勇気づけられるのは、
「過去の自分」だったりするのである。


だから、


今、自分が精一杯生きることは、
「未来の自分」や「未来の誰か」を勇気づけることにつながる。
そういう生き方をしなければならない。




今の自分は、未来の自分に対して、
「遺産」と呼べるような、
そんな「精一杯の自分」と言える生き方をしているのだろうか。




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2019年10月20日

人間の幅

M君はどこから手が出てくるのかわからない「怖さ」がある。
それに対してmini98は面の時はこう、小手の時はこうと、幅が小さい。
今更M君のような剣道を身につけようとしても無理だろう。
だから、今のままでいかに精度を上げていくか、力強さを出していくかを追い求めたほうがいい。
そのためには「人間の幅」を拡げていくことが必要だと思う。
そうしておいて、あれもこれもできるんだけれども、敢えてそれをせずに、
「自分のやろうとすること」を貫いていくこと。
それが大事なのではないかな。
(mini98『稽古日誌』プレジデント範士)



3年前の範士からのアドバイス。



先日の稽古で、
初めてプレジデント範士から「(以前と比べて)迷いが少なくなった」「『圧』を感じるようになった」
と言っていただけたわけですが、



正直な話、



自分の中では3年前と何も変わっていない。
でも、確実に何かが変わっていることを範士は示してくださったと思っています。



先日、同僚(と言っても10歳以上年下の人たちですが)たちと食事して、
久しぶりに学校の将来像や、生徒をどうしたいか、それからグチ(笑)を語り合いました。



この人たちと一緒にこの職場を支えていこうと思える。
そんなことを感じさせてくれる、幸せな時間でした。



「人間の幅」を拡げるためには、
他を受け入れることと同時に、他を寄せ付けないほどの「思い」を持たなければならない。



「攻め」が効いているかいないかは、
自分ではわからない。相手が教えてくれる。





あ、そうだ。





3年前と客観的に、しかも確実に変わったのは、
mini98の「腹の厚みの幅」ですかね(笑)



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2019年10月19日

地区新人戦

地区新人戦。

新人戦らしい、
荒削りだけれども、積極的な試合が展開されました。


審判長TT先生とともに一日正面席に座ってましたケド、
見応えある試合が展開されました。
ただ、試合運営のことについてはいろいろ反省することがあり、
これは次回の課題となりました。



高学歴ニートに対して、
橋下徹さんがこんなことを言っています。






今回の試合でも、
「退っ引きならない状況」を、えいやっと展開していく力というんですかね。
そういう力をもった選手が光っていたと思います。



橋下さんの言う通り、
35から50歳までをお金で買えるとしたら・・・



構えあった時の「退っ引きならない状況」を自分で展開していく、これが剣道。
まさに、これは人生そのものでしょう。



人生に、最初から「計画」なんて立てられないのです。
その時の状況にただ全力で取り組むことしかできないし、行動することしかできない。





今、自分が死ぬとして「いい人生だった」と言って死ねるか。



今、自分が打つとして「これが今精一杯の打ち」と言って打てるか。





この「覚悟」をもって生きることが剣道であり、
自分を自分すると言うことなのだと思います。





まだまだ、遠いなあ・・・




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2019年10月18日

学ぶ力

学ぶということ。


・剣道を習うということは自己を習うということである。
・自己を習うということは自分を放下するということである。
・身も心も剣道に投げ入れて、剣道の方より行われて無心に生きられるようになるならば。
・初心の稽古を最初の剣道なり。
・最初の稽古は最初の稽古なり。
・最初の稽古、最初の剣道は始めありて終わりなし。
・道環して断絶せず、修証一如なり。
(湯野正憲範士)


「剣道」のところを「勉学」と置き換えて考えてみたときに、
それを身につけるためにどんな力をつけなければいけないか。


毎日毎日同じことの繰り返しの作業を粘り強く続けていく力。
「わかりたい」「賢くなりたい」という情熱。
自分自身で道を切り開いていくという強い意志。
それから・・・それから・・・


その作業の中でこそ、
「飽きっぽい自分」や「自分に足らない力」が明らかになり、
「これからやるべきこと」が見えてくる。


毎日毎日、ただレンガを積んでいるだけの虚しい時間なのか、
それとも、レンガを積み上げてそこに何を作るのかということを知ってその作業を行なっているのか、
それとも、それを作って、何が得られるのかを知ってその作業を行なっているのかでは、
得られるものは全然違ってくると思う。


例を挙げると、


レンガを積むだけなのか、
そこに壁ができることを知っているのか、
その壁は自分の町の学校の壁であり、そこに子ども達が通ってイキイキ学んでいることを望んで作業を行なっているのか。
ということです。



その、「あなたはなんのためにその作業を行なっているのか」を明確に示すことができる人を「師」をいうのでしょう。



私は「教師」でありたい。
mini98にその力はないのはわかっているけれど、
その「志」だけは持ち続けていたい。





みなさん、
御察しの通り、仕事の愚痴です(笑)



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2019年10月17日

アウトプットとインプット

キングコング。

いえ。

ウッホウッホと言いながら、
大きな山を一またぎしたり、
火山も津波も恐竜もかなわないやつではありません。



お笑いコンビの方です。
そのキングコングの西野亮廣さんがこんなことを言っている。

「アウトプット」という作業が実に効率的だなぁと思うのは、アウトプットする過程で、インプットすることが山ほどあるところです。」
「アウトプットしている時の方がインプットしている」という話です。だから、行動しない人は知識がなくて、知識がないから、さらに行動しなくなるのでしょう。」


西野亮廣ブログ



mini98が、当ブログ「直心是道場」を発信しはじめたのは2005年から。
14年経ちましたね。

ブログを書く=アウトプットする
ためには、日常的にインプットする必要があります。つまり、アウトプットするからこそ、
情報を吸収する能力をあげざるを得ないし、実際あがってくる。


毎日、mini98の周りには「ブログのネタ」が転がっています。
もうね、ネタの宝石箱や〜と言いたいくらい。(笑)


プレジデント範士から、崇菱会の基本指導を任された時も同じです。
アウトプットしなければならないことが決まってしまっているから、インプットせざるを得ない。
これまで範士に受けた指導の資料を見返したり、あらためて本を読み直したり、
動画を見直したり。

実際に指導の場(アウトプット)を経験してみて、
自分の思いと、指導を受ける側の先生方との受け止め方のズレも実感できたり。
それを埋めるために、次回の指導をどうするか・・・を考えたり。



しかし、そのことを経て、
あらためてプレジデント範士の基本指導を受けてみると、
その「情報収集力」は格段にあがっていることを実感しています。
(ただ、得た情報を表現する身体能力がない・・・トホホ)



逆に言えば、
ただインプットしていくだけでは、自分の力にならないのではないか、ということです。

例えば、指導を受けて(インプット)、
その内容をやって(アウトプット)みて、失敗する、成功する経験をして、
それを克服するためにさらに考える作業(情報を収集すること=インプット)を経て、
さらに次の指導を受けるという、いいサイクルを自分で作っていかなければ力にならない。





未来は変えられないが、過去は変えられる。
成功の鐘が鳴る前には必ず報われない時間がある。




キングコングに勇気付けられたmini98でした。



ウホウホ。



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posted by mini98 at 18:49| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月16日

打ち抜けるということ

崇菱会稽古。

基本稽古では、「想定外のことが起きた時」にどう対処するか、という範士の課題についてが一番難しかったですね。
相手がここでこう出るということがわかっていても、そこで自分の身体が思うように動かないということは、
本当に情けないが、ここが本当の「稽古」のしどころなんだと実感します。


本日の範士との稽古は「59歳以下」の若手組。
基本稽古の最後、お相手の先生には心の中で「ありがとうございました」と念じながら、
範士の列にダッシュ!


ハンサムMさんについで2番手ゲット。


昨年の12月以来の範士との稽古。
随分近間での稽古でしたが、絶対に下がらないことと、呼吸を詰めること、
気持ちで絶対に負けないこと。


途中、「打ち抜けとらんだろうが!」と範士から声が掛かる。


なんの!と、面!
「ズブッ」と範士の突き。

もう一丁!と、面!
「グサッ」とまたまた突き。


クーッ、この感覚たまらん(笑)




最後は範士の面をいただいて終了。



「以前と違うところは・・・まず、迷いが少なくなった。それから、前に比べると『圧』を感じるようにはなった。
が、それが『打ち』につながっていないんだな。以前も言ったが、五分五分から少しでも相手を上回った状態でないと出られないということは確かにあるんだけれども、自分が四でも、時によっては三でもとにかく前に出る(特に上手にかかる時には)その姿勢でないとなかなか「打つ機会」は掴めて来ないと思うよ」




息があがってしまって、
その後の稽古は、もう長くはできませんでした。

ただ、ミイティーとの稽古は、出来るだけ「身体接触」の無いように「のみ」心がけました(笑)



「攻め」が相手に効いているかどうかはわからない。
でも、自分の修行の方向は間違っていないんだということを実感できました。



「人の行動に『原因』などなく、あるのは『目的』のみである」



自分がどうしたいのか。
自分はどうありたいのか。



自分にはどうにもならないことに悩むよりも、
自分にできることをコツコツやっていくしかないのだ。




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posted by mini98 at 23:53| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月15日

最初に帰る

ヒロダイ稽古。


テーマはもちろん「呼吸」です。
ですが、結論から言うと、呼吸を意識したというよりも、



「学生さんとの稽古を楽しんだ結果、呼吸が大事だと言うことにあらためて気付かされた」



の方が近いですかね。
形や見栄えは二の次で、とにかく「やってやる」って感じです。



好きこそ物の上手なれ。



いまだにmini98の高校時代の先輩、カリスマ美人先輩には、
「mini98が、まさか剣道を続けるとは思わんかったわ〜」と言われます。
(確かに高校時代には、まさか先輩が剣道と疎遠になって、mini98が剣道続けているなんて、想像できませんでしたよね)


けれど、カリスマ先輩も、
mini98にも共通しているのは、




「剣道が好き」この一点ですかね。




結局、そこに戻るし、
そこが一番大事だったりするのかも。




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posted by mini98 at 23:17| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月14日

無相

一つのことに集中すること





一つのことにとらわれること







どう違うのだろう。



「これだ!」とヒントを掴みかけたと思っていても、
次の稽古でそのことをばかりを考えて稽古すると、全く動けなくなる。




「無相(無念無想)

ただ自分が自分に成れる相である。
自分が自分に成り切るとは、一心不乱一所懸命やっていることである。
人は誰でも、一所懸命やること即ち無念無想になることができる。
しかし今、自分は無念無想であると認識することはできない。
だから人は、何ごとでも一所懸命やることだけができるのである。」
(横山祖道老師)

IMG_1165.jpg



「・・・これは剣道にかぎらず、人生そのものについても言えることと思います。ここで言う守の段階、破の段階、離の段階それぞれの区別はつけにくいことで、言葉で表現はできません。しかし、守の段階なしで離の段階に入ることはできないと言えるでしょう。「破・離」の段階がくるかこないかは、守の段階の過ごし方にかかっていると言えます。まず、よき師を選び、師の教えにばかになって従ってみるということを抜きにしてその先を考えることはできません。一所懸命努力することによってのみ次の世界が開けてくるのです」
(『剣道教室』湯野正憲、岡村忠典)




迷わずに、ただひたすらに。




自分が自分で自分になる。




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posted by mini98 at 22:14| Comment(2) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月13日

ノーサイド

彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った
長いリーグ戦 しめくくるキックは ゴールをそれた

肩を落として 土をはらった
ゆるやかな 冬の日の黄昏に

彼はもう二度と かぐことのない風 深く吸った

何をゴールに決めて

何を犠牲にしたの 誰も知らず

歓声よりも長く

興奮よりも速く 走ろうとしていた あなたを
少しでもわかりたいから

人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ

同じゼッケン 誰かがつけて
また次のシーズンを かけてゆく

人々がみんなあなたを忘れても ここにいるわ
(ノーサイド 作詞:松任谷由実 作曲:松任谷由実)






今日は「ラグビーネタ」だと皆さんお思いですよね。
ご期待に応えて(笑)




この曲には、モデルになった試合があって、




全国高等学校ラグビーフットボール大会での「伝説の一戦」
1984年1月7日に行われた第63回大会決勝


天理対大分舞鶴戦。


この試合は、後半ロスタイムに入り大分舞鶴がトライを決めて18-16にまで迫り、
決まれば同点で両校優勝となるゴールキックを主将のFB福浦孝二が左に外し、
その直後ノーサイドの笛が鳴った試合。


ラグビーで、選手が最後まで超えられない壁は、相手にタックルする「恐怖心」だそうです。
そこをお互いに乗り越えて、必死に戦ったからこそ、試合後はお互いを讃え合う気持ちが生まれる。



ノーサイド。
敵味方なく。



「うっ」と詰まった状態を自ら作り出して、
そこを乗り越えていく。お互いに全身全霊をもって、
その場面を作り出そうとして、せめぎ合うからこそ、
剣道の理念が成立するのです。



武士道とは、そういうことを言うのでしょうね。



本当の強さとは、敵を作らないこと。



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posted by mini98 at 22:40| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月12日

自分が変わる

本日、本校は中学生対象のオープンスクール。
受験生に本校の良さを紹介する貴重な機会です。


先日、minekitiさんと審判ご一緒した際に、
「mini98さん、最近の職場ネタでの愚痴が多いですよね」



確かに(笑)



・・・ということで、職場ネタは書きませんが、
他人を変えようとするのと、自分を変えようとするのと、どちらが簡単で、しかもストレスが少ないか。




それは断然「自分が変わる」ことであります。間違いない。




「・・・自分の背後に壁を背負うが如く、一歩も引かない剣道を目指しました。これが後々の大学、社会人でも基礎となっています。
剣道は打たれて強くなるとの所以は、ただ数をこなすことだけでなく、気概を持って相手に対し、打たれ方・打たせ方にこそ大事な要素
があると思います。この姿勢・心構えができていくことで、いい反省が生まれ剣道の充実が図れると思います」
(『剣道昇段審査合格の秘密』剣道時代編集部 下諸純孝氏)





相手が自分の思い通りに動いてくれないことに腹を立てても、
「フッ、わかってないなあ・・・」とニヒルな笑みを浮かべていても、何も変わらない。


自分の力を信じて、
精一杯やるしかないのだ。



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posted by mini98 at 00:00| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする