2019年04月30日

あやかりたい!

minekitiさんから連絡。

大学の後輩ダーハラ君が七段、mini98 の教え子ホワイト女史が六段昇段!
おめでとうございます!

さてさて、mini98 は!

頑張ります!


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2019年04月29日

拡げれば宇宙 縮めれば自己

先日、マニアックM先生から、「山田無文老師の一円相色紙が某オークションサイトに出品されている」と連絡が入りました。



山田 無文(やまだ むもん、1900年7月16日 - 1988年12月24日)は日本の臨済宗の僧侶。花園大学学長・臨済宗妙心寺派管長。
チベット探検で有名な河口慧海を頼って出家するが、あまりの厳しい生活に結核になってしまったエピソードもある。
わかりやすい法話で親しまれた。
(ウィキペディアより)


それを聞いて思い出したのが、わがハナダイ剣道部の部旗のデザインは、
確か山田無文老師による一円相だったなと。



朝からゴソゴソ・・・



・・・見つけました。

老師のお話を在学中に聞く機会は残念ながらありませんでしたが、
晩年老師がお住まいだった妙心寺霊雲院(れいうんいん)に剣道部員が座禅に通えたのは、
今思えばありがたいことだったのだなと。



洗濯してアイロンがけし、額に入れて飾ることにしました。



IMG_0971.png



禅において、円相は、悟りや真理、宇宙全体を象徴的に表現したものとされる。
終わりもなく、はじめもない。
自己も無く他も無い。
悟りや心理、宇宙と自分はひとつながりである。



このタイミングでこれを思い出したのも何かの縁。




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2019年04月28日

「心」が消えると「私」が残る

When you get to the plate. you can't be thinking.
you have to feel it.

「身体で感じて、身体がそれ(打つかどうか)を決めるという世界なんですね、実は」






どこを打つかは決めない。
おぼろげに「面に行く」とは思ってはいるが・・・
自分の感覚を信じて、相手に身を任せてみる。


勝浦でのバレー範士からのアドバイス。
「相手が自分の竹刀に触ってきた時、そこで右手が固まってはダメだ」

中四国稽古会でのフレンド先生からのアドバイス。
「相手と対峙した時に右手が居着いていますよ。そこを柔らかく遣わないとダメですよ」


なるほど、ってことで稽古しているわけですが、
ただ相手を受け入れるだけでは、相手にいいようにやられる。
やはり、そこに多少の「欲」は必要だと思うのです。

「欲」には相手を打ちたいというのもあるが、逆に打たれたくない気持ちもある。
一見、良くないように思えるが、「相手に集中!」という意味では程よく必要。


お互いに「欲」をコントロールして相手と対峙する。
そこで「欲の質を高める」、つまりお互いに相手を「感じる」ということで(合気になる)集中できる。


しかしね、相手も集中している時はこちらも気をつけないと。
自分が「打てる」と思っていても「窮鼠猫を噛む」状態に陥ってしまうこともある。


だから、さらに相手を「認める」というところまで集中の段階を進めることが必要だ。



先日マニアックM先生から、「集中する秘策」を伝授された。
それと同じ内容が、自宅にあった本を何気なく見ていたら出てきたのでびっくり!






これまでやってきたことが、徐々に「繋がって」きてる感があります(笑)




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2019年04月27日

冥土の旅の一里塚

「平成最後の・・・」で巷はあふれていますね。



もう少ししたら、「令和最初の・・・」できっと世の中あふれるんでしょう。




正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
(一休禅師)



正月を祝う人々を前にして、一休は髑髏を杖の先に掲げて街を練り歩いたという。



平成の1日も、令和の1日も、
変わらず大事な時間であり、「特別な日」などないのです。



和して同ぜず。
仕事も、稽古もその気持ちが大事かなと。





・・・といいながら、
「平成最後だから、これくらい・・・」と、「お●●」の誘惑に負けそうになるmini98なのでありました(笑)





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2019年04月26日

只管打坐

下界へ帰ってまいりました!


中学生の自然観察教室。
よく手入れされた里山で、この時期にしかない野草を観察させます。
また、本校の研修施設近くの民族資料館の職員さんたちに協力していただき、
土器(もどき)を製作(製作は半年前に)し、焼き、完成させます。


勉強の後はピザ窯で焼いた自分たち手作りのピザを食べたり、
カマドで炊いたご飯をいただきます。


都会暮らしの生徒たちが、自然を感じ、体験する大事な研修です。



毎年mini98はこの研修に参加することになっていますが・・・・
まあ、飯盒炊さんなどやったこともない生徒(教員も、かな?)の指導役?
規律正しく集団生活をさせるための「近所のちょっと怖いオジサン」役?(笑)



ただ、今回は、地区大会(兼県大会予選会)の開催が一週間下げられて、
予選通過校からのメール・郵便による申し込み期間(mini98宛に送られてきます)とちょうど時期が重なったので、
バタバタしたわけです。





「麻浴山の宝徹禅師が扇を使っているところに僧がやってきて問うた。
「風の本性は常住であり、ゆきわたらぬ場所はないのに、和尚は何を思って扇を使われるのか?」と。
 師は言った。「お前は風の本性が常住であることは知っているようだが、いまだどこにもゆきわたらぬ
場所はないという道理がわかっておらぬようだ」と。

僧は言った。「では、どこにもゆきわたらぬ場所はないという道理は、いったいどういうことですか?」と。

それに対して、師はただ扇を使うのみであった。

僧は礼拝した。」(『正法眼蔵』NHK100分de名著ブックス)






「人間の比重は水よりも軽いのですから、普通にしていれば水に浮くはずです。
けれども、泳ぎを知らない人は、溺れて水に沈んでしまいます。ということは、
泳ぐ(修行する)ことによってわれわれは水に浮く(仏になる)のです。
同様に、扇であおぐから風(仏性)が活性化されるのです」



自分の中に仏はある。
あるのだけれど、それはそのままではあらわれない。


仏になるために修行しているのではない。
仏が修行しているのだ。


仕事も食事も眠るのも、風呂に入ることさえも。




明日も勤務!
頑張りましょう!



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2019年04月24日

プラズマパワー!

崇菱会稽古。
プレジデント範士ご出張のため、mini98が基本指導を行いました。

切り返し・・・なんですが、これも「基立ちとかかり手」「師と弟子」の関係を意識して。
特に「基立ち」「師」の動きに注意が必要。


続いて、面の連続三本。
かかり稽古の要領で。


そして、日本剣道形一本目〜三本目を剣道具をつけたまま。



「位で詰める」とは。
それを表現してみてください。


さらに、休憩を挟み、
お互いの稽古に活かしてみてください。




さて、mini98自身の稽古。
「潔くない」稽古はやめて、長くとも3分。
(カップラーメンができるという時間で意識(笑))


キリの良いところで(ここを生み出す力がいる)「一本お願いします」
そこでいい打ちが出たら、欲を出さずにスパッと。そこで相手に触られてもスパッと。
「ありがとうございました!」


おかげで普段なら5〜6人の稽古人数のところ、
本日は14〜5人はできたんじゃないですかね。
それに、短い時間を意識すれば気も持続しやすい。
切り替えを学べる。



なんだか、疲れたけれど「爽やかな」気分でした。




「あれ、mini98さん、大丈夫?」




はいはい、明日出勤して、届いているであろう書類をまとめて事務局に届けて、また研修場所に向かいます。




「じゃあ、稽古できるね?」




・・・先生、もうヘトヘトで・・・・




「大丈夫!『清書』だと思って!」




なるほど〜・・・・じゃあない!(笑)
と、いうことで「清書稽古」
清書の清書で、別人28号ミッキーとも!



いや〜3分って大事だなと。
プラズマパワーが地球は少ないからなー


・・・しんどかった・・・


シュワッ!






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2019年04月23日

潔くない

ヒロダイ稽古。
学生さんとの稽古も、一般の先生方との稽古も、
「短く、潔く」を心がけたつもり。


人のことはとやかく言いませんが(言えませんが)
mini98についていえば、なぜ稽古が長くなるのかが自分で理解できた。
というか、自分の気持ちをやや客観的に見ることができたのです。



「なるほど、なんてイサギの悪いことよ」



つまりですね、
相手に「自分が思うような剣道をしてほしい」と思っているわけですが、
それがそうならない時に「なんでそうならんのんや」という気持ちを相手にぶつけてしまうわけです。





ここがボタンのかけ違いなんだよな。





剣道観の違いなんてざらにあるわけで、
そこに腹立てて、しかも相手にその責任の矛先を向けている。




潔いわけがない。




「剣道は、『私の剣道はこうなんですよ!』ということをぶつけ合うんです!」
というプレジデント範士の言葉がかつてありましたが、それとはかなり違うわけです。
「私はこうですよ!」ということを相手にぶつけているのではなく、
相手のことを責め、なじっているような感じ。



潔いわけがない。



明日から金曜日まで、
生徒の学習合宿の合間を縫って、地区高体連の仕事を行い、
県北と職場を行ったり来たりの日々。
ストレス溜まるけど、




潔く行かなければ。





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2019年04月22日

剣道、て、に、を、は。

われ われをしらず しかあれど われ われを礼拝す

そうです。導いてくれる師を求めることが一番大切なことかもしれません。剣道をやりたいと心を動かした
その自分の心を大切にして、修行し続ける中で、師こそはわが命、我が道そのものでなければならないと思います。
「無色無臭の攻め」といってみなさんに語りかけましたが、それは無所得、無得悟の攻め、立ち稽古の本体の中に
確かに蠢いていると信ずる「未発の剣」のことを言いたかったのです。

身心学道、て、に、を、は。
この身心で、この身心に、この身心を、この身心とは、それは池にあるべきかを悟ることもなく、心を動かして
修行し続けることこそわが命であり、剣道であり、剣で道(い)うことであり、不道(いわず)であると
今思い続けています。
(『剣道教室』湯野正憲範士)









攻めとは、
どこかを打ってやろうとして「ずいっ」と前に出ていくことではない。
しかし、何かを得ようとしないというのならば、
なんのために出ていくというのか。
なんのために剣道をやっているのか。


その、答えの出ないかもしれない問いを、
自分自身に問い続けていくことこそ「剣道」なのかもしれない。



ただ、心をこめて稽古に励む。



迷いこそ悟り。




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2019年04月21日

花は咲く

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今年は寒い日が多かったせいか、
春の植物を楽しめる期間が長かったですね。
本日は年間を通じて楽しめる場所を訪れました!



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2019年04月20日

過去は変えられる

東大入学式での祝辞が話題ですが・・・
近大の卒業式もインパクトありますね。






本日、中国大会県予選兼県総体地区予選でありました。
半年前の新人戦に比べ、パワーアップした各校の気迫溢れる試合が展開されました。


男子N高校、
女子M高校が優勝。


優勝校以外の学校は、この「悔しさ」を
この先どう活かしていくか。


未来は変えられないが、
過去は変えることができる。


この「視点」新鮮でした。



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2019年04月19日

心の上に足がある

「今のmini98さんに必要なのは、『技術』じゃないんだよね」





マニアックM先生にそう言われて。






いや、もちろん『技術』的に足りないところはいっぱいあるんですが、
でも、言われていることもわかる気がして。





「呼吸を下げる、踵まで下げる。だから左足の膝後ろの膕(ひかがみ)が曲がっている人はダメだって言うが呼吸がもう崩れている。
左足さえ入っていれば、左半身さえ、こう入っていれば、全体が使いこなせる。ここが抜けると、半分になっちゃう。体半分で稽古してもダメだ。
全体でズーッ、ズーッと。そこをよく注意して。左足だ。左足の踵が内側へ曲がっていてはダメ。道を歩くときのように、まっすぐ前に向ける。
左足の踵がズッと。そして大事なのは、ここへ止まっちゃいけない。ここへ足が居着いちゃってはいけない。こういう風に(左足の踵をまっすぐ)
しておりながら出る、下がる。どこへでも動ける足になっていなければ変化に応じられない。それを「一歩も停まらず」という。これは大変な修行だ。
そういう大事なものがある。足を気をつける。
 その足が、何に乗っているかというと、足を乗せているものが「心」だ。足がこう上がったのはもう、心が浮いてしまったんだ。外へ行ってしまったんだ。足をちゃんと安定させている、足を乗せているものが心、心の上に足がある。だから現れた足で「あっ、これはしまった」と思って稽古中にこれを直す。
これが修行なんだ。「打った打たれた」が修行じゃないんだ。これを「心を鍛える」という。これが心の修行だ。剣道の有難いところは、心が「かたち」に
現れること。かたちが崩れた時は、そういう現れたかたちの上で、すぐ元に返す。そうすると今度は穴がなくなる。「一念一念を相続する」というのはこれなんだ。たまに良い面が出て当たる、という程度ではダメなんだ」(小川忠太郎範士)





フレンド先生に言われたことは大事なことだけれども、
「右手」にとらわれて、そこにとどまっていることもまた良くない。




本当に今、面が「遠く」感じられる。
ついこの前までとは違った感覚。
でも、そこを冷静に見ている自分もあって、
その感覚を楽しめているのかもしれない。




心の上に足がある。





稽古をするしかありません。




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2019年04月18日

こだわり方が問題

剣道の本質は我々の生命力を如何に有効に活かすか。
生命力を如何に自在に活用するかということに帰着する。

生命力が自然そのままの姿で出る時に、
相手の闘争、社会的問題、道徳の規範に触れて、
様々の葛藤が起こるのである。

剣道の本質は、生命に迫ってくる相手を前にして
方便に従って、仮に勝負を試み。本能の働きとして、
その生命力を理想化するところに余の剣道が生まれてくるのである。


瞬間瞬間の自己創造である。


(『艸生庵残筆』湯野正憲範士)



この言葉の意味を、
今更ながら噛み締めていますね。


昨日範士から指摘された部分。
「一人一人の稽古が長い」のは、mini98の有利な場面を作って、稽古を終わらせようとしているからそうなるのです。
そんな都合のいいことは、いつも起こらない訳で。
どこで稽古を終わらせるかという判断こそが、「瞬間の自己創造」なわけで。



強いとか、弱いとか、打ったとか、打たれたとかそういう問題ではないのです。



自分でも「長いな」とは思いつつ、
でも、どっかで区切りをつけないとと思いながらの稽古だったので。
そういう「中途半端な自分」について指摘していただいたなと。



自覚していても、何かに「こだわって」いる。



その「こだわり」の方向が違っている。
そこを今回は指摘していただけたかなと。




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2019年04月17日

教育実習

崇菱会稽古。


今回の稽古も、プレジデント範士からmini98に基本稽古を任せていただいた形になったわけですが、
私としては、これまで以上に「教育実習」的な意味合いが感じられました。


稽古後、範士にご挨拶。


「指導はね、出来るだけ道場の真ん中で。決まった場所でやらないと、受講生が戸惑うよ。
それから、今日は左右の胴の指導をしたけれども、その時に「こっちの胴」と表現したよね。
そうではなくて、きちんと「右胴、左胴を打つ」と表現しないと。それから、受ける表現も「右鎬、左鎬」と言うこと。
要は、受講生が聞いただけでイメージができるように指導しないといけない」




ふむふむ。




「あと、稽古はね。昔からそうだけど、一人一人の稽古が長い。
それに・・・なんていうか『潔くない』グズグズしている。
ああ今日はうまくいかないな・・・あ、いいところをやられた、でパッと終わる。そういう『潔さ』というか。
その代わり次回の稽古では許さんぞ!でいいじゃないか。mini98は試合は「淡白」なのに、稽古は「しつこい」よね。
逆に稽古は潔く、試合は粘る。そうでないといけないのではないかな?」




全くです(笑)




もう、本当に「教育実習生」の気分であります。


そのmini98は、本日の本校教科会で、今年度の教育実習生の一人の指導を任されました。
教育実習生が、教育実習生の指導をするという(笑)



自分自身の「学ぶ」姿勢が問われています。


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2019年04月16日

心と身体

新しい竹刀は、購入した時の感覚は良かったのですが、
実際使ってみると「竹のしなり具合」に違和感を感じます。
打突した時の手の内の感覚がよくない。



操作性は良いのだが、
良すぎると言うか。



また、果てしない「竹刀巡り」が始まるのか(笑)




本日のヒロダイ稽古は「打つ気」を抑えて。


そうすると、その心が映るのか、学生さんはみんな「待ち」の気分。
唯一ハマーだけがガンガンきましたが。それでもおっかなびっくり。


なんだかなあ・・・
学生達に「稽古っていうのはなあ・・・」というのは簡単ですが、
こちらの気持ちが相手に映るってこともありますよね。




「おぼろげに面を攻めながら、(それを相手に感じさせながら)瞬間善処」という稽古は難しいのです。



マニアックM先生とも稽古しましたが、
しっくりいかない。打てたとか、打てなかったとかではない。



けれども。



先日のフレンド先生からのアドバイスは、やっぱり有効だと。
うまくはいかなかったけれども、
「自分の気持ちを止めない。「ここ」にとどまらせない」ために、身体の一部を常に動かしておくこと。





心と身体はつながっているのだ。




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2019年04月15日

これが最後

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県北の桜はまだまだ我々の目を楽しませてくれています。



いつもならばすでに散っている桜も、
ギリギリ咲いていました!



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2019年04月14日

目を使わない

「僕が毎年春に苦しむのは『いかに目を使わないか』を求めるからでした。今年もこのことで戦ってきましたが、
結局最後まで目を使ってしまいました。ボールを目で追うと、体が緊張してしまうんです。

あとは、目で追うとどうしても始動のタイミングが遅れます。僕は初動のタイミングによってほとんどが決まるバッターですから、
目で追う感覚があるときには、捉えたと思ってもファウルになったり、空振りになったりしてしまう。目でなく体でボールを捉えられるようになれば、
初動のタイミングが遅れなくなるのですが、この修正は練習でどれだけ数を打ったとしても、できません。目でなく体でボールを捉える感覚は、残念ながらゲームの中でしか作れないんです。・・・」

(Number976 『イチロー長き戦いを終えて』)


一眼二足三胆四力


剣道の大事な教えの一つだけれども、
今のボクには、冒頭のイチローの言葉と、この言葉が重なって感じられるのです。


「いかに目を使わないか」
「ボールを目で追うと、体が緊張してしまうんです」


そして、それは普段の練習の数をこなしても身につくものではない。
「試合(審査)」の中でしか作れない。


・・・と言い換えてみる。




「平常心でプレーすることなどできない、ということをまず受け入れることだと思います。平常心でいられない自分を受け入れて、
そこに立ち続けること。たくさんの人がそこから逃げようとするのを見てきましたし、その気持ちもわかります。でも、それでは前に進めないのです」
(『前掲書』)



やっぱり、
イチローは
ボクにとってのヒーローです。



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2019年04月13日

東京大学入学式

長い引用になりますが・・・話題になっています。

(以下、引用)

平成31年度東京大学学部入学式 祝辞

ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。

あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。(東京大学HPより)

(引用終わり)

頑張っても報われないかもしれない世界があなた達を待っている。
あなた達のがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでほしい。
自分の弱さを認め、支え合って生きてほしい。


厳しいけれど、
素晴らしい「祝辞」だと思います。



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posted by mini98 at 11:08| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月11日

想定外は想定内なのだ

竹刀を買うときは、
竹を選び、柄の長さだけ指定して竹刀にはめてもらい、
あとの小物は別に買っています。


自宅に帰ってから、自分の好みの「仕組み方」で仕上げます。
仕組む時間を楽しみ、竹刀への愛着を感じられるひと時です。


若い頃は太めのものが好みでしたが、
今は細身の竹刀でないとダメな身体になってしまいました(笑)



さらに、



竹刀袋も、真っ白な地に、プレジデント範士揮毫の「直心是道場」の文字の入った、
崇菱会オリジナル。(クリーニング済)に交換。



気分一新です。



「想定内の出来事に対処するのは当たり前。想定外のことが起こった時に、自分に何ができるか。そこが問われている。
剣道も、仕事も一緒」
(プレジデント範士が学生に対して)



先日の稽古会で、
minekitiさんに久しぶりにお会いし、お話しした時。
「mini98さん、ブログで仕事の話題では『愚痴』が多いですね」と言われてしましました(笑)




・・・ごめんなさい。




でもね、ほんまに「想定外」のことばっかり起こるんじゃもん(笑)





「教訓」
人は、自分の思っているほど自分の言うことに関心を持っていない。
だから、何かをやろうとしたら、これでもかというくらい「確認」をする。
そうやっていると、「自分の想定」のエリアが広がり、逆に「自分の想定外」の割合が少なくなっていく。
瞬間善処は、何も準備しなくていいと言うことではない。自分のできうる限りの準備をした上でのことだと思う。



剣道も、
できる準備はちゃんとやる。しかも確実に。
それでも「想定外」のことは起きるのです。



でも、そこに対してちゃんと対応できるってことが大事なんですよね。






「強さ」とはそういうこと。





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posted by mini98 at 22:37| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月10日

瞬間善処、実践。

崇菱会稽古。
本日は、先週に引き続き「地稽古」から。
プレジデント範士との稽古は、会長先生、カッシー八段。


mini98は、できるだけ「感じて反応する」稽古を心がけました。
先日のフレンド先生から言われたことをやろうとするけど、実際やろうとすると難しいですね。
やっぱり「そこ」に止まってしまう。


ただそこ、の連続。
そこに淀みはないのです。


反省が多い稽古になりましたが、
反面、自分がどう反応するのかがすごく楽しみな時間でした。
(たくさん打たれましたが)


その後は、事前にプレジデント範士から
「後半の基本稽古はやってくれ。
・・・そうだな、「木刀による基本稽古法」なんかを使って、そこから広げていくのもいいかもしれんね」
と言うヒントをいただいていたので、剣道具をつけての基本打ち稽古を行ってみました。


すり足から打突。
これがなかなか。

あと、「払い」と「擦り上げ」の区別など。


途中、プレジデント範士から、
「ここで終わろう。あと、3分の周り稽古をするから」と言われ、
ここからmini98も参加。



稽古後のプレジデント範士の言葉。


「剣道は、わかりやすく言うと『相手の隙を打つ』と言う競技。
ですが、相手の隙を盗んでやろうという姿勢であるか、真正面から気劍体の隙を指摘する態度で臨むのかで
全然違う。後者の気持ちで立ち向かうと『風格』と言うかそういうものが身につくんです」



納得。



改めて「先」という言葉の意味を考えた稽古となりました。



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posted by mini98 at 23:43| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月09日

瞬間、瞬間の自己創造

ヒロダイ稽古(ひさびさ)


道場に着くと、プレジデント範士による指導中。
「上段対策」の指導場面だったのですが、範士自身もかつては上段の選手だったとお聞きしているので、
その指導は大変実践的・具体的です。
結局「瞬間善処」であり、対応力の問題なのです。
特にmini98が感銘を受けたのは、上段の相手に対して「相面」の機会を作る部分でした。
これは、二刀にも応用可能かと。


学生さんとの稽古では、
フレンド先生からご指摘を受けた部分に重点を置いて稽古。


でもまあ、当たり前のことですが、
そこに心が止まってしまうといけないわけで(笑)
うまくはいきません。
ですが、今日は我慢して打たれるだけ打たれてみたし、
反応できた部分もありましたが、遅れたり浮かされたりすることが多かったですね。
だけど、ほとんどの学生さんは「向かって」来てくれるので、それは有難かった。
大変勉強になりました。


間合いの詰まったところで、
「止まらない」意識を動かし続ける。
具体的には、右手の動き。
リラックス、リラックス。



ここが身に付けられれば。



とりあえず、今はこの「感覚」を感じてみます。




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posted by mini98 at 22:46| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする