2019年04月23日

潔くない

ヒロダイ稽古。
学生さんとの稽古も、一般の先生方との稽古も、
「短く、潔く」を心がけたつもり。


人のことはとやかく言いませんが(言えませんが)
mini98についていえば、なぜ稽古が長くなるのかが自分で理解できた。
というか、自分の気持ちをやや客観的に見ることができたのです。



「なるほど、なんてイサギの悪いことよ」



つまりですね、
相手に「自分が思うような剣道をしてほしい」と思っているわけですが、
それがそうならない時に「なんでそうならんのんや」という気持ちを相手にぶつけてしまうわけです。





ここがボタンのかけ違いなんだよな。





剣道観の違いなんてざらにあるわけで、
そこに腹立てて、しかも相手にその責任の矛先を向けている。




潔いわけがない。




「剣道は、『私の剣道はこうなんですよ!』ということをぶつけ合うんです!」
というプレジデント範士の言葉がかつてありましたが、それとはかなり違うわけです。
「私はこうですよ!」ということを相手にぶつけているのではなく、
相手のことを責め、なじっているような感じ。



潔いわけがない。



明日から金曜日まで、
生徒の学習合宿の合間を縫って、地区高体連の仕事を行い、
県北と職場を行ったり来たりの日々。
ストレス溜まるけど、




潔く行かなければ。





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posted by mini98 at 22:55| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月22日

剣道、て、に、を、は。

われ われをしらず しかあれど われ われを礼拝す

そうです。導いてくれる師を求めることが一番大切なことかもしれません。剣道をやりたいと心を動かした
その自分の心を大切にして、修行し続ける中で、師こそはわが命、我が道そのものでなければならないと思います。
「無色無臭の攻め」といってみなさんに語りかけましたが、それは無所得、無得悟の攻め、立ち稽古の本体の中に
確かに蠢いていると信ずる「未発の剣」のことを言いたかったのです。

身心学道、て、に、を、は。
この身心で、この身心に、この身心を、この身心とは、それは池にあるべきかを悟ることもなく、心を動かして
修行し続けることこそわが命であり、剣道であり、剣で道(い)うことであり、不道(いわず)であると
今思い続けています。
(『剣道教室』湯野正憲範士)









攻めとは、
どこかを打ってやろうとして「ずいっ」と前に出ていくことではない。
しかし、何かを得ようとしないというのならば、
なんのために出ていくというのか。
なんのために剣道をやっているのか。


その、答えの出ないかもしれない問いを、
自分自身に問い続けていくことこそ「剣道」なのかもしれない。



ただ、心をこめて稽古に励む。



迷いこそ悟り。




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posted by mini98 at 23:25| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月21日

花は咲く

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今年は寒い日が多かったせいか、
春の植物を楽しめる期間が長かったですね。
本日は年間を通じて楽しめる場所を訪れました!



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posted by mini98 at 23:53| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする