2019年01月19日

切り落とし

ソーム部長のmii98。
先日、ある業者さんに冊子見積書作成を依頼したのですが、
今朝出勤してみると、見積書が机上に。
mini98がいない間に事務所に届けられていたようです。


中を見ると、昨年と同様のものを作成しようとしているのにも関わらず、
(しかも全体の部数は少ない予定)昨年と同じくらいの金額。
結局、1部あたりの値段が上がっているわけです。
これっておかしいよねと思って問い合わせ。



部数が少なくなっているにも関わらず、昨年と金額がほとんど変わらないんですが・・・



「あーそうなんですね、じゃあ、また考えて見積書出します」



は?あ、あの・・・見直しできるんですか?



「はいはい、先生がそうおっしゃるんなら」




プチッ(何かが切れた音)




あのねえ、オタクとは長い付き合いなんですから、それはないでしょう。
単価が高くなるんなら、もちろんそれなりの理由があればこちらとしてもそれに見合う金額はお支払いしますよ。
無理をしてくれとごねているわけではありません。でも、mini98が一言電話を入れて安くなるんだったら、
どうして最初からそういう見積書を作ってくれないんですか?
顔と顔を突き合わせて、単価が上がる理由をきちんと説明してください、そして、
自分も損をしない、相手も損をしない、そういう真っ当な商売をしてくださいよ。




もうね、我慢できんこういうの(笑)
















避けない、ごまかさない。
それが剣道。








人気ブログランキングに参加しています。
クリックお願いします!


   

全般ランキング


【関連する記事】
posted by mini98 at 18:29| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月18日

「構えは大日如来です」

「三段までは地の修行、四・五段になれば理の修行、六・七段は事理一致の修行、そして八段は事理相亡の修行が必要です。
「理」の一つひとつの修練は、だいたい五段前後から自然に意識していくものです。それらが少しづつまとまりながら、
その人なりの構えが形作られていきます。最終的には、内に攻防の全ての「理」が包含され、それらが融和した姿となります。
構えの理想であり、最高段位の八段ともなれば、そういう構えが求められます。そして、その「理」が意識的でなく、無意識のうちに
働いているようでなければなりません。打突が決まって、その打突からさかのぼった時「どのように打っていたかわからない」もしくは
「ああ、多分乗って溜めて打っていたんだ」と感じるくらいの無意識です。そういう打突であれば相手の心に深く響いているものです」
(井上義彦範士「第四回全日本選抜八段優勝大会」の解説文)



学生時代数ヶ月に一度、京都妙心寺、塔頭での「稽古」がありました。
坐禅の後、新聞紙を広げ、筆で新聞紙の対角線上に一息でゆっくり線を引くというものです。


筆に墨をたっぷり含ませ、
左下端から右上端に向かってゆっくり、一息で、まっすぐの線を引いていく。


「まっすぐ」と考えると必ず震える。
かといって、適当にやれば必ず曲がる。
一度筆を入れれば「あ、今の無しね」は絶対に言えない。
一回一回がまさに「真剣勝負」



今考えると、とっても大事な「稽古」だったのだということがわかります。
(30数年たってやっと(笑))







「二度とやり直しがきかない」








「構える」とはそういうこと。



人気ブログランキングに参加しています。
クリックお願いします!


   

全般ランキング
posted by mini98 at 23:54| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月17日

名人伝

「ああ、夫子が、ー古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや?ああ、弓という名も、その使い道も!」
(『李陵・山月記』中島敦)




有名な「名人伝」のラストシーンですね。
弓の名人、紀昌が厳しい修行を積み重ねた結果、弓そのものの存在を忘れてしまった、というお話。


「構える前までは『(相手に)乗ろう!』とかは考えるけれども、パッと構えたらもうそこは考えない。
構えあってから相手にどうやって乗ろうか?などと考えたらダメ」というプレジデント範士の言葉は、
これまでmini98が課題として取り組んできたことを否定されるものでは決してないことは理解しています。


「おぼろげに」相手に乗るという意識は持ちながらも、
どこそこを打ってやろうとか、こうしてやろうとかは考えない。
それこそ「自分を信じて」相手に任せる。
そうすると、




打たれます。




遅れます。




落ち込みます(笑)


ただ思うのは、相手とそうやって対峙しているときに、
相手の反応を「眺めたり」気持ちで「引いたり」してはダメだということ。
竹刀(手・腕)でなんとかしてやろうという気持ちを忘れて、自分本体の力で、
「壁」を突き破っていくことは必要。
「打たれるかも」「どう思われるか」「やってやる」という気持ちを捨てて、
そういう厳しさを持って、ただ、相手の前に立つことを『直心』というのだ。



昨日指導させていただいた中で、
相手が間合いに入ってくる(自分が間合いに入っていく)、その切羽詰まったところでの説明は、
実は言葉にならない部分。



範士の言葉は、
その大事な部分をmini98に示してくださったのだと思っています。



今度、mini98が道場に竹刀を忘れて帰っていたら、






こいつ悟ったな。






・・・と思ってください(笑)






違うか(笑)






人気ブログランキングに参加しています。
クリックお願いします!


   

全般ランキング
posted by mini98 at 22:45| Comment(0) | 稽古記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする